SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その2)】(6)

(以下引用)

【女性の修行(その2)】(6)

 ◇ 結婚と修行

 結婚生活とは、配偶者と一生を共に生きるということである。もし結婚生活を送りながら仏道修行に勤しみたいというのであるならば、もちろん相手の同意を得なければならない。

 また、すでに仏道修行に勤しんでいる人が結婚相手の理解を得ることができない場合には、一旦修行を止め、相手の同意を得てから再開すべきである。ここで、どうしても修行の継続を結婚よりも優先したいというのであるならば、その相手との結婚は見合わせるしかあるまい。

 ただし、ここで修行生活の時間的な連続性にこだわるのは無意味である。修行は、行いたいときに行えば良いのであり、連続して行うことに特別な意義は認められないからである。仏道修行は、因縁に基づいてそれぞれの機縁を生じるものである。そして、これらは時間軸との特別な相関は認められない。このため、ある修行者は長い修行期間を経て覚りに達するであろうし、別の修行者は比較的短時間に修行を完成させるかも知れない。修行の一時的な中断が、完成までの時間を遅延させる障害となるわけでもない。その逆もまたしかりである。

 この世は、何一つ思い通りにはならない世界である。選択を迫られることは日常的に起こるだろう。何を選択するとしても、すべては本人のことがらである。自分の進む道は、もちろん自分で決めて良いのである。ただし、結婚を選択した場合は別である。たとえ仏道を歩むためであっても、結婚生活を敢えて疎かにすることは決して勧められない。むしろ、楽しい、栄えある結婚生活を送るべきである。そのような人が社会生活と並行して修行に勤しんだとき、すみやかなる覚りを生じるとも考えられるからである。

 そもそも、仏道を歩むことに関して誰かと争うのは本末転倒である。それが近い間柄の相手であればなおさらである。強引に仏道を歩んだとしても、それではニルヴァーナに達することはおそらく難しい。何となれば、覚りの重大な機縁となる善知識は、基本的に身近に出現するものだからである。この意味において、身近な人こそ大事にしなければならないと言えるのである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

伝統的仏教において、僧侶の結婚は否定され来ました。日本仏教においては親鸞が初めて妻帯しました。それは革命的なことでした。その後、明治代になって日本では僧侶の妻帯を認められるようになったということです。海外では今でも僧侶の妻帯は禁止されています。

なぜ、僧侶の妻帯の禁止の理由は性欲の否定があるのです。性欲という煩悩を抑制できないようでは修行の完成はないという考え方があるからです。

しかし、この引用文ではそこは問題にしていません。それよりは、相手との関係をどのように良好にするかが重要であると述べています。

「すでに仏道修行に勤しんでいる人が結婚相手の理解を得ることができない場合には、一旦修行を止め、相手の同意を得てから再開すべきである。」と述べられています。これは、従来の仏教の考え方と少し異なるように思います。道元などは、すべてを投げ打って修行に励むように言っていたようです。

「仏道修行は、因縁に基づいてそれぞれの機縁を生じるものである。そして、これらは時間軸との特別な相関は認められない。このため、ある修行者は長い修行期間を経て覚りに達するであろうし、別の修行者は比較的短時間に修行を完成させるかも知れない。修行の一時的な中断が、完成までの時間を遅延させる障害となるわけでもない。その逆もまたしかりである。」というのがSRKWブッダの考え方です。

若くして覚ったとか、遅く覚ったかは問題ではありません。その人の因縁に基づいて修行して、できれば死ぬ前に覚ればよいのです。


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