「ぼく自身のノオト」

ヒュー・プレイサー著、きたやまおさむ訳「ぼく自身のノオト」という本を読みました。

内容は、この本の帯の紹介によると次のようになります。

「青年の普遍的思索。

13歳から20歳にかけて、この本を何度も読み返し、友だちや好きな人のみんなに貸した。どのページのどの言葉も覚えている。久しぶりに手にとって、これもしかして、いま必要とされている言葉ではないかと考える。北山修の名訳だ。____山崎まどか(コラムニスト)

500万部突破の世界的名著、待望の復刊。」

私もそうだなと思う言葉がいくつもありますが、その中の二つだけを引用します。

「しかし、もし、その途中で、ぼくに自分の心のなかを見てみるだけの余裕があれば、それらの否定な感情はうわべだけのもので、もっと深いところはもっと肯定的な、愛情にみちた感情があることに気づくだろう。ただ、このような状況でそれらの感情とつねに接触を保つことはなかなか難しく、もしぼくが自分が実際に感じている以上に同情的にふるまおうとするならば、必ず見失ってしまう感情なのだ。」

「たいていの情景は、伝統的に決まった感情と結びついてしまっている。たとえば、君の妻が君を裏切ったなら、君は激怒するという(しかし実際には君は興奮しているだけなのかもしれない)。ぼくはしばしば物事に対して自分が本当にそう感じるからでなく、そう感じる「べきである」と思って応えてしまう。だから、どうしてよいかわからなくなり、判断に迷ったりするのだ。」

この本は内省の不得意な人にはおすすめの本です。


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