「メールでの問答」

ある読者とメールで次のようなやりとりをしました。多少脚色しています。

読者: 私の身近な人に、やさしく、賢い人たちがいます。年老いて人生について考えているようです。
しかし、彼らはなぜ覚らないのですか?

如来: 答えは簡単です。彼らは覚りたいと思っていないからです。

読者: 皆、安らぎたい、心底ではやさしくありたいと思っているのに、覚ろうと思う人が少ないのは何故だと思われますか?

如来: 「安らぎたい、心底ではやさしくありたい」と「覚り」が結びついていないからでしょう。
また、「安らぎたい、心底ではやさしくありたい」が、なぜできないかわからないからでしょう。

読者: 私も同感です。


*法津如来のコメント

覚りたいと思っても覚れるとは限りませんが、覚りたいと思っていなければ覚れません。

覚りは一大事の因縁によって起こるものですから、できることは功徳を積むことです。

また、覚りとは、安らぎ、心底ではやさしくあることです。

安らぎ、心底ではやさしくあることを妨げているものは、心の名称(ナーマ))と形態(ルーパ)であることを知ることです。



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