「未知の相談依頼人との対談内容」の続き(1)

「男らしさへのこだわり」、「馬鹿にされたときの怒り」、「白黒つけたい性格」については、対談の内容そのもの以外にも読者の理解しやすいように、付け加えて説明します。そうすれば、相談依頼者もこのブログを読んでおられるので、彼の理解のためにもなると思うからです。

「男らしさへのこだわり」、今の時代このような考え方は、時代遅れの考え方だと思いますが、昭和生まれの自分にはしょうがないことですと言ってました。

「男らしさ」とは彼の場合、何を意味していたのでしょうか。彼は武道に関心があり、合気道系の道場に参加していたことは、彼に確かめたわけではないのですが、男は強くなければならないということだったと思います。特に、肉体的な強さです。強さには精神の強さということもあります。

彼は僧侶になりたいという思いもあったそうですが、その道は諦めたようです。それは強い願望ではなかったのでしょう。それでもこれは目標を失っている状態なのでしょう。

「馬鹿にされたときの怒り」、これについて私は「馬鹿にされたと思ったときの怒り」だと書きたいのです。
馬鹿にした人は本当に馬鹿にしたのかもしれませんが、それを馬鹿にされたと思うかどうかは自分の問題だからです。ためになることを言ってくれた、ありがたいことを言ってくれたと思うこともできます。

話は飛びますが、私はある時から自分には悪いことは起きない、起きることはすべて良いことだと自然にそのように思えるようになりました。世間では悪いことだと思われる事柄も、それは私に何か教えてくれているからです。

彼は、「それはプラス思考ですね」と言いましたが、私はそれはもっと大きな意味があると考えています。単に、私が良い意味に考えるとということではなくて、それは因縁でそのようになっていること、天からの配剤、神々の贈り物と考えてもよいのです。

そのように考えると、馬鹿にされるということは、神々の贈り物なのです。

怒らなくてよいのです。そこから何を学ぶのでしょうか?

いろいろなことが学べます。

自分が弱い人間だと思われると、怒るということです。
自分は本当に強い人間なのでしょうか?
強い人間でなければいけないと思っているのに、それを指摘されたから怒った。
本当は強くないのに、自分はそれを見ないようにしている。
自分の現状を知らなくて、自分の現状を変えることができるでしょうか?

そもそも、強い人間でなければいけないのでしょうか?
弱い人もいるのに、それではいけないのでしょうか?
弱い人も幸せに生きることができた方がよいでしょう。

それならば、強くあることにこだわる必要がるのでしょうか。
弱いと言われて怒らなくともよいでしょう。

さらに、自分を馬鹿にした人は何故馬鹿にしたのでしょうか?
人を攻撃して自分を守っているのではないでしょうか。
自分の過ちを他人のせいにして自分を守っているのです。
自分の過ちを他人のせいにする人は弱い人なのです。
彼らも、自分と同じように弱いのです。
彼らに怒るのではなく、やさしくした方がよいのです。
そうすれば、馬鹿にされても怒ることはなくなります。

少し長くなりましたので、続きはまた明日のブログで。



この記事へのコメント