SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その2)】(12)

(以下引用)

【女性の修行(その2)】(12)

 ◇ 自分らしく生きる

 自分らしく生きるというのは、生きる意味が明確でそれに沿って生きているという自覚である。

 ここで、生きる意味というのは人それぞれであるが、実際にはそれぞれの魂にしたがって生きるということがそれに当たる。具体的には、職業人としての魂、家庭人としての魂、公的な魂、教育者としての魂、芸術的な魂、宗教的な魂・・・などである。

 天職とか、これをやるために生まれてきたような人だなどと言われることがあるが、世間において自分が生きるべき場所を見出しその魂を得た人は高揚感や幸福感に恵まれた人生を送ることができるであろう。

 ただし、これは真のしあわせの境地ではない。その証拠に、折々の喜怒哀楽などの感情に翻弄されて心が安らかならず、三毒(貪嗔痴)を制していないのでときに人生が破滅してしまうことになるからである。

 真のしあわせの境地に至れば、そのようなことがない。けだし、真のしあわせの境地というのは、

 「過去のことを後悔して思い煩うことが無く、現在について一切の悲苦憂悩を滅し、未来についても不吉なことが無い」

境地だからである。これをニルヴァーナと称する。

 ところで、このニルヴァーナに生きることは自分らしく生きることになるのかが気になる人もあるかも知れない。

 結論を言えば、自分らしくではなく生き身のブッダとして生きることになるということになる。具体的には、魂の座に〈諸仏の誓願〉が座した生き方になるということである。ここで〈諸仏の誓願〉とは、

 「一切の生ける者達を、私(仏)と等しく、異なるところが無いようにしたい」

という誓願を指している。

 すべての覚った人(=ブッダ)は、この誓願を持って生きており、人としては数えられない。ただし、それぞれのブッダの性格や趣味嗜好などは覚る以前のそれが多く引き継がれたものとなる。すなわち、自分という意識はそのままに残っており、その上で自分がブッダであることを認識しているということである。これは、世間のことがらで言えば公的に生きるという状態に近いものである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

はじめに、今年の1月11日の「法津如来のコメント」で「SRKWブッダ著「仏道の真実++」の引用が、終わりに近づきました。最後の二つの章は「【女性の修行(その1)】と【女性の修行(その2)】です。それぞれ13項目について述べられていますので、合計26回に分けて引用します。」と書きましたが、【女性の修行(その2)】の章は12項目でした。従って、今回でSRKWブッダ著「仏道の真実++」の本文の引用は終わりになります。明日は「あとがきに代えて」です。

さて、この引用文では、生きる意味についてわかりやすく解説さていますので、これ以上解説することがありません。

しかし、私にとっては、今考慮中の事柄についての回答が書かれているのがありがたいのです。

それは、「結論を言えば、自分らしくではなく生き身のブッダとして生きることになるということになる。具体的には、魂の座に〈諸仏の誓願〉が座した生き方になるということである。ここで〈諸仏の誓願〉とは、
 『一切の生ける者達を、私(仏)と等しく、異なるところが無いようにしたい』
という誓願を指している。」

つまり、このブログを続けてるいる意味は、「一切の生ける者達を、私(仏)と等しく、異なるところが無いようにしたい」という誓願なのです。

ですが、仏道を歩むということは、修行者各自のことがらなので、何か特別なことを教えるということはできません。しかしながら、修行者がこの道に関心を持ち、その意思を持続することために、何か書き続けることはできるだろうということです。



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