「恕(じょ)すこと」

3月5日のブログで、「恕(じょ)すこと」について言及しました。

恕(じょ)という言葉は、日常あまり使わない言葉です。

私が初めてこの言葉を目にしたのは、高校の漢文の授業です。

論語の中の言葉で次の文章でした。

子貢問うて曰く、「一言にして以って終身之を行うべき者あるか」。
子曰く、「それ恕か。己の欲せざる所人に施すなかれ」。(衛霊公第15)

(口語訳:子貢がたずねた。「たった一言で、一生涯かけて信条にできる言葉がございますか」
先生がいわれた。「それは、恕(思いやり)だね。自分がいやなことは人にしないことだ。」)

もちろん、仏教のダンマパダにも同様の言葉があります。

129 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。已(おの)が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺させてはならぬ。

130 すべての者は暴力におびえ、すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。已(おの)が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺させてはならぬ。
この「已(おの)が身にひきくらべて」が、「恕(じょ)すこと」に相当するのです。

SRKWブッダは次の文章で、ある場合には「恕(じょ)すこと」は最上の忍耐であると述べておられます。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou113.htm

「人は自分よりもすぐれていると思う相手の言葉を恕(じょ)すのであり、また人は、相手と争うことを厭ってその相手の言葉を恕(じょ)すのである。

しかしながら、もし人が、自分よりも(明らかに)劣っていると思われる相手の言葉を恕(じょ)すならば、それは『最上の忍耐』と呼ばれる。

そして、そのような『最上の忍耐』を為す人こそが、ついには因縁を生じて一切の争いから解放されるのである。 それがそのように起きたとき、まさしく法(ダルマ)が世に出現したのであると知られることになる。」



この記事へのコメント