「無分別智(その1)」

SRKWブッダのホームページの理法「無分別智」」の引用、その1。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou029.htm


[実は二つあります]

無分別智には、実は2つあります。
 
一つは、覚りの境地に至るその直前においてそれが無分別智だと如実に認知されるそれ(根本智)であり、もう一つは、覚りの境地に至った後で、あらゆる行為を無分別に行いつつもそれが完全なる智慧、すなわち無分別智に他ならないことが後付けで認知されるというもの(後得智)です。

これら二つのいずれもが、その出所(ルーツ)に関してはあらゆる分別を超越したところにあるという意味で、同じく無分別智と名づけるのです。 

これは、例えば「愛」という言葉が実は二つの意味に対応しているのに似ています。 

一つは、プロポーズのときに如実に実感しているそれであり、もう一つは、結婚生活においてふと(後付けで)実感されるそれです。 

「愛」や「無分別智」にはそれぞれに二つの意味合いがあるのですから、それぞれに別々の言葉があってもよいのですが、実際には同じ「愛」や「無分別智」という一つの言葉に集約されてしまうのです。 

つまり、その根っこのところは同じである所以です。


*法津如来のコメント

「無分別智」とは、仏教を学び始めると、特に禅仏教を学ぶとよく聞かれる言葉です。
SRKWブッダはそれを50項目で説明しています。
それを、少しづつ紹介します。
少し難しいですが、じっくり読んで下さい。

その前提として、昨日も引用した次の文章を思い出して下さい。

「無分別智とは、智慧(諸仏の智慧)の別称です。智慧は、いかなる分別の結果としても出てくることは無いということを明示するために、このような言い方をすることがあります。また、無分別智が言葉の形をとって顕れ出たとき、その言葉を「法の句」と呼びならわします。」

このブログで度々話題になる「法の句」も無分別智の現われなのです。


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