「無分別智(その4)」

SRKWブッダのホームページの理法「無分別智」」の引用、その3。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou029.htm


[気づきではない]

無分別智は、気づくことで得られるものではありません。 

かといって、何ものかに気づかされた結果得られるものでもありません。 

無分別智は、正しく気をつけることによってもたらされるものですが、気づきでも、気づかされでも無いのです。 

強いて言えば、無分別智とは、気づきということとは無関係にすべてが明らかになるということなのです。 

無分別智が気づきとは無関係である証拠に、無分別智を顕現した本人さえも自らが為したそのことに気づかないことがほとんどです。(善知識)



*法津如来のコメント

「無分別智は、気づくことで得られるものではありません。」という証拠は、法の句を発する本人も自分も法の句を述べているとは気づいていないのです。

法の句の場合には、発した本人ではなく、それを聞いた人がそれが法の句(無分別智)だと気づくのです。

無分別智は気づきではないということは確かですが、「無分別智は、気づくことで得られるものではありません。」とう表現は微妙です。

「無分別智は、実は二つあります。」と紹介しましたが、法の句の場合には、気づくことによって得られるということがあります。



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