「無分別智(その5)」

SRKWブッダのホームページの理法「無分別智」」の引用、その4。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou029.htm


[何も考えないことではない]

無分別智とは、何も考えないから得られるというものではありません。 

しかしながら、無分別智は、何も考えないで出てきた智であるのは確かです。 

それにもかかわらず、あらゆる分別や哲学的見解よりもすぐれているという不可思議な智のことです。 

無分別智がどのようにすぐれているのかと言うと、一切後悔しない行為を生むという意味ですぐれているのです。 

また、その無分別智以外のものはそれよりも必ず劣るという意味ですぐれているのです。 

すなわち、無分別智によって行為するとき、行為している本人も喜ばしく、行為の対象となった相手も喜ばしく、それを目撃した人々(ギャラリー)も喜ばしく、その行為の顛末を聞き及んだ現在の人々、またそれを聞き及んだ未来の人々においても喜ばしい結果を生じるのです。 

無分別智とは、そのようなものであり、何も考えないで行うやりっ放しの行為の動機ではありません。



*法津如来のコメント

「無分別智とは、何も考えないから得られるというものではありません。しかしながら、無分別智は、何も考えないで出てきた智であるのは確かです。」ということは、具体的な例を挙げて考えてみましょう。

例えばダンマパダ6偈では、「『われらは、ここにあって死ぬはずのものである。』と覚悟をしょう。___このことわりを他の人々は知ってはいない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。」と述べています。

争いがあった時、「われらは、ここにあって死ぬはずのものである。」と覚悟をしようと言っているのです。
そうすると争いが止むのです。この覚悟は無分別智によって現れるのです。決して、考えて出てきた智ではないのです。

この覚悟ができた時、ダンマパダ5偈に述べられた真理が得られるのです。

「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。
怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。」


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