「友人からの質問と回答」

ある友人から次のようなメールが来ました。(公開は本人の許可済み)

(以下引用)
おはようございます。質問させていただきます。
父親が厳しい半面、母親に甘やかされて過保護に育つと「してもらって当然」という傲慢な『自己の特別性』という根拠のない自信が潜在意識に浸透した行動をとるようです!
知り合いから相談されて『これは自分にも当てはまる』と感じました!
根拠のない自己信頼はある面で、「不器用な人には」在家世界で生きていく上で楯になると感じています!
しかし『特別だと他人を扱う傲慢さ』は矛となり自分自身をやがて破壊する行為や縁を産みます!
なぜ、父親は厳しく、母親に甘やかされ過保護に育てられると特別性のエゴが強まり傲慢になるのでしょうか?
それを消すのは行為を自覚して繰り返し、繰り返し慈悲の瞑想と感謝内観を行い『脳の歪みを修正する』修業とある程度の時間が必要だと感じていますが?
(以上引用)

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(私の返信)
ご質問にお答えすることに、いささか戸惑います。
私の返事があなたを怒らせることになるかも知れないからです。
ですから、いろいろな考え方があるのだなというつもりで寛容の心で読んでください。

あなたはある現象に対して、ある見解を持って、私に質問しているのです。
しかし、私はその現象に対してそのような見解を持っていないのです。

私は「だれでもエゴが強く傲慢である」と考えています。
ただいろいろな因縁でそれに強弱があるという程度の問題なのです。

なぜ「父親は厳しく、母親に甘やかされ過保護に育てられると特別性のエゴが強まり傲慢になる」というようなことだと思いたがるのでしょうか?

自分は特別だと思うことでエゴが強化し、傲慢の元になるのです。
ですから、そのように思わない方がよいのです。

それよりは、次のような「省察」を行うべきです。
2020年11月5日のブログに「仏道の真実++」から引用したものです。
https://76263383.at.webry.info/202011/article_6.html


【省察】

 自分ではない他人の過ちをどんなに正確に把握したとしても、それによって覚りを生じることはない。その一方で、他ならぬ自分自身の過ちを把捉したならば、それは覚りの重要な機縁ともなる。その具体的な方法が、省察である。修行者が理法に適ったあり得べき省察を為し遂げたとき、安らぎに至る確かな道を見い出すであろう。そして、ある場合には、それだけによっても一つの解脱が起こることがある。

 以下に、しあわせの境地を求める人が行うべき省察について述べたい。

 このあり得べき省察は、自分の過去の行為を思い出すことから始まる。もちろん、いろいろなことがらを思い出すであろう。その中で、とくに印象深く心に残っている行為の経緯と顛末、およびその帰趨を思い出す必要がある。そうして、その行為を為した時点に思いを馳せて、そのとき自分が何者であったかについて省察するのである。

 この省察が能く行われたとき、修行者は自分の根本的な過ちを発見するに違いない。同時に、真に為すべきことが思い当たるであろう。もちろん、過去に戻ってやり直すことはできない。そこで、その思い当たったことを今後の行動の道標として心に定め、二度と同じ過ちを犯さないように決意することになるであろう。

 賢明な修行者は、このようにして見出した道標が如来が説いた理法そのものであることに気づくかも知れない。もしそれが起これば、そのかつて説かれた理法は彼において一つの完成を見たことになる。この時点で、彼はすでに単なる修行者ではなくなっている。彼は功徳を積んだ立派な修行者であり、すでにニルヴァーナの近くにある。

 さて、省察していると次のようなことに思い至るであろう。

 ○ 自分は、あのときどうしてあんなことをしてしまったのだろう
 ○ 自分は、あのときどうすればよかったのだろう
 ○ あのとき、相手はどんな気持ちだったろう
 ○ あのときは良かれと思ってあのように為したが、結果は悲惨だった
 ○ あのとき、あの人はどうしてそこまで自分に対して為してくれたのだろう

 ここで注意すべきことは、省察は何か心の決着を着けるために行うものではないということである。また、省察は何かの答えを見出すために行うものでもない。省察は、ただ「そのとき自分が何者であったか」を知るために行うものであることを忘れてはならない。

 ところで、なぜ省察は過去のできごとについて行わなければならないのだろう。現在について省察してはいけないのだろうか。その理由は、現在における自分の根底の心は現在において知ることができない性質のものだからである。そこで、過去について省察を行い、そのときの自分の根底の心を明らかにしようとするわけである。

 大事なことは、省察によって自分の本心を知ることである。


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