「無分別智(その9)」

SRKWブッダのホームページの理法「無分別智」」の引用、その9。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou029.htm


[そのままでよかったのではない]

無分別智は、それを知る前と後で実は何も変わらず、そのままの自分でよかったのだということを(見解として)認知することではありません。 

なぜなら、無分別智を生じたとき、その前と後では明らかに自分が変わったことをはっきりと知るからです。 

しかしながら、それは自分に何かが付け加わったということではありません。 

量的にも、質的にも、何も変わっていないことを知るのですが、しかも何かが変わったのだと自ら知るのです。 

そして、それは勿論、そのままの自分でよかったのだということを(見解として)認知するに生まれて初めて至ったという意味で自分が変わったということではありません。 

無分別智は、それを知ることによって、それを知ったということの内容とは無関係な大いなる変革を自分自身にもたらすものであることを(知る人は)否応なく知るということなのです。


*法津如来のコメント

無分別智が言葉の形をとって顕れ出たとき、その言葉を「法の句」と言われます。

法の句を聞いた時、それが法に句だとわかった人は、解脱します。

その人は、「それを知る前と後で実は何も変わらず、そのままの自分でよかったのだということを(見解として)認知することではありません。」

解脱した人は、その前と後では明らかに自分が変わったことをはっきりと知るのです。

つまり、「無分別智は、それを知ることによって、それを知ったということの内容とは無関係な大いなる変革を自分自身にもたらすものであることを(知る人は)否応なく知る」ことになるのです。


この記事へのコメント

才 木 広 之
2021年03月21日 05:13
解脱後に知る事は

相手に対してありのままに言えば良かったんだ

相手のありのままを否定怒りだけが不要だったんだ

過去も現在も未来も

怒りさえなければ

いいんだ

と知ります

解脱後対象を相手を否定怒りはないが

解脱後対象を相手をありのままに受け入れたい。気持ちがあり

ありのままに知ったら、それに対して必ず教える事があり

その通り、とか

はっきり駄目です、とか

はっきりしてる

怒りがないから

教える事にしても怒りがない

様子を見るにしても怒りがない

駄目ですとはっきり言っても怒りがない

その通りと言っても怒りがない

ありのままに対してありのままに対応がある
才 木 広 之
2021年03月21日 05:17
相手の対象のありのままに対してありのままに対応がある

それが解脱後。

要するに

解脱とは

相手の対象のありのままを否定する怒りが必要ない

と明らかに知っている