石法如来の特別寄稿「富永仲基について。(その3)」

仲基の方法論において、私自身経典を学んできて感じるのは「加上」(かじょう)ということです。私は、原始仏教経典の『阿含経』を専門に学んで参りましたが、とにかく量的に莫大です。同じような・似たような経典も多いし、繰り返しもとても多いです。繰り返しが多いのは、修行者が記憶しやすくするための手段として用いたと考えておりましたが細部は不明です。
 
釈尊滅後すぐに行われたという、第一結集(けつじゅう)で唱えられた経典の内容・量はそれ程多くはなかったと考えられますが、時間の経過とともに「新たな要素が付加される」(いわゆる加上が行われる)ことにより、莫大な経典量になったと言うのはある意味当然と言えます。
 
仏教は難しいと言われる原因として、経典量の莫大さと内容の多様性・すなわち経典により「言っていることがまるで違う」ということで混乱が起きる=理解が難しいと言うことになります。
私自身、頭が混乱するくらい種々大量の経典を学んだことはありませんが、当然インドから経典が大量に流入したとき当時の中国僧は混乱したはずで、そこで教相判釈なる解決策が出現した(出現せざるを得なかった)ということです。
       
そこで、三十一歳で早逝した仲基が、一体どこで莫大な経典を学んだか?という話になりますが、伝承によると仲基が田中桐江(たなか とうこう・江戸時代中期の儒学者・漢詩人)の住む池田(現在の大阪府池田市)に通っていた際、黄檗宗(おうばくしゅう・日本の三禅宗のうち、江戸時代に始まった一宗派)のお寺から大蔵経校合(たいぞうきょうこうごう)に雇われていたという説があるようです。
 
大蔵経とは、仏教経典を総称したもので一切経とも称します。日本では、『大正新脩大蔵経』(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう)が有名で、全100巻から成り漢訳の仏典の最高峰と呼ばれています。(ちなみに、17字詰29行3段組、各巻平均1,0001ページになっている。)
私もかつて、経典研究のため「阿含部」の二巻を所有しておりました。開いたのは、大学の卒業論文作成時に参考文献として翻訳したときだけです。まず、漢文の勉強を始め次に辞書(佛教語大辞典)を使い一文字ずつ翻訳していくのですが、時間がかかり根気の要る作業です。
 
『大正新脩大蔵経』を例にとっても、1,000頁×100巻=10万頁あります。それを、ただ読むだけでも大変な労力を要するのに、更に内容を識別・分類・精査しなければいけません。
仲基は、黄檗宗の大蔵経校合として雇われていたという話をしましたが、校合とは、校正作業のことを指します。仲基は、この校正作業を通じて仏典を研究していたと推定されます。
 
当時日本に伝わっていた経典は、書写されていたもので誤写の他、誤字・脱字などがありますので、同じ経典の書写本を複数照合して確認・修正作業を行なわなければいけなかったのです。
 
仲基の代表作である『出定後語』の序には、「この説をもって十年ばかりになる」と記されており、そう考えると二十歳そこそこで仏典の読破が終わっていたという計算になります。
その一点だけ考えてみても、仲基の非凡な才能と人並み外れた努力家であったことが想像出来ます。更には、他の追随を許さない卓越した発想・論点に基づく書籍を世に送り出したという事実だけ考えても、「知られざる天才」という呼び名は決して誇張されたものではないことが理解出来ます。
 
ここで、少し江戸時代の文化というものに思いを馳せてみますと、現代日本に生きる私達より遙かに豊かな文化環境があったようにも見えます。
経済的には、決して豊かでなくても学ぼうとする意欲があれば学べる環境もあり、仏教で言えば文献もそれなりに揃っていた。ただ個人的には、「豊富に紙はあったのか?」という疑問があります。
 
当時「紙」は貴重品であり豊富には存在しなかったのでは?という疑問です。普通に考えると、研究のためには沢山の紙を用いて資料を作り、思索を積み重ね記録・保管します。・・・もしかしたら、仲基はそのような手順を極力省略し、全て記憶に頼って行っていたのかも知れません。
 
いちいち、記録用紙を取り出し文書を書くより(頭に)記憶して作業する方が早くて正確だったのではないでしょうか。私はかつて、インドのバラモン僧が経典を暗誦(あんしょう・あんじゅ)している姿をテレビで見たことがあります。何万巻もの経典を、絶え間なく声に出して唱える姿を見て正直驚きました。
 
現代に生きる私達は、電子機器(パソコンなど)や紙(書籍など)に頼っているので、記憶力はその当時の人間に比べて遙かに劣っていると考えられますが、仲基は極めて優れた記憶力・文書の理解・分析判断能力を持っていたものと想像出来ます。


*法津如来のコメント

本日2回目のブログ更新です。

この文章の最後の部分「現代に生きる私達は、電子機器(パソコンなど)や紙(書籍など)に頼っているので、記憶力はその当時の人間に比べて遙かに劣っていると考えられます」は、その通りです。

以下少し余談を付け加えます。

文字のない民族の神話などは、皆口伝で伝えられてきましたので、すべて暗記していたのです。

原始仏教を伝えているパーリ経典はパーリ語は独自の文字がないために、すべて口伝で伝えられてきました。それはすべて暗記しているということです。

後にセイロン文字、ビルマ文字、タイ文字、ローマ字などで表記されるようになりました。

パーリ経典は、アーナンダ尊者がゴーマ・ブッダの説法を記憶していたものをまとめたものといわれています。

今でもミャンマーではパーリ経典をすべて暗記されている僧侶が数名おられ、特別な称号が与えられミャンマー国民に尊敬されているそうです。


この記事へのコメント

才 木 広 之
2021年03月27日 09:51
頭にあるものしか

自分にとって意味がない

頭にあるものは自分のもの

頭にないものは自分のものではない

ノートに書いてあるものは、ノートのもので、自分のものではない

自分の頭にあるものだけが自分のもの

こう知るなら

暗記しか意味がないと知り

暗記だけに意味を見いだします

ノートに書かれたものは意味がない