「無分別智(その22)」

SRKWブッダのホームページの理法「無分別智」」の引用、その22。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou029.htm


[悩み苦しんだ末ではない]

無分別智は、何にせよ、あれこれと悩み苦しんだ末に現出するものではありません。 

無分別智は、確かに最も悩ましい局面において、すなわち一大事の局面において顕れ出るものですが、そのような苦悩自体を最初から最後まで関係する誰もが感受しないで済むためにはどうすればよいかが、まるで予め分かっていたかのように現出する不可思議なるもの(超越したもの)であると(知る人は)知るからです。 

しかしながら、それはそのことを予め誰かが想定していたり、”この場合にはこれを用いればよい”というように前もって誰かが用意していた結果顕れ出るものではあり得ないと(知る人は)知るからです。 

つまり、無分別智は誰かが作為したものではあり得ないと(知る人は)知るからです。


*法津如来のコメント

人間の悩み苦しみはいろいろありますが、病気の苦しみについて考えてみましょう。

人が病気になると病気の本人も親しい人々もあれこれ悩み苦しみ、医者にかかって病気を治そうとするのです。

そのような時は、病気を治せるかどうかしか発想できないのです。

悩み苦しんだ末ではないに生まれる知恵は、分別智といいます。

あえて言えば、無分別智は病気を治そうとしない智慧です。

病気になった時には、病気になるのが一番よいのです。

死ぬ時は、死ぬのが一番よいのです。

最近ある縁で、関東医療クリニック院長松本光正著「高血圧はほっとくのが一番」(講談社+α新書)を読みました。

この著者のいう通りですが、この考えを本当に受け入れるためには無分別智が必要です。



この記事へのコメント

才木広之
2021年04月02日 06:41
御早う御座います。

生きとし生けるものが幸せでありますように。