「無分別智(その44)」

SRKWブッダのホームページの理法「無分別智」」の引用、その43。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou029.htm


[感謝しない]

無分別智を得たとき、誰かに感謝したり、自然や世界に感謝したり、超越者に感謝したり、あるいは自分自身に感謝したりする気持ちを生じることはありません。 

それどころか、無分別智を得るにあたって最も重要な働きを為した善知識に対してさえ、感謝の気持ちを生じることは無いのです。 

無分別智は、自らの因縁で生じ、自らに顕現したものであると(知る人は)知るからです。 

したがって、例えばあなたがこのサイトを閲覧したことをきっかけとして覚りの境地に至ったと思うことがあったとしても、私(このサイトの起草者)や、このサイトの内容、法(ダルマ)、超越的何か、あるいはあなたにとっての善知識とおぼしき人などのどれか一つにでも感謝の念を生じたとするならば、あなたは覚りの境地には至っていないと考えなければなりません。 

感謝の念があるならば、それは思い込みの所産であるのです。 

無分別智を目撃したとき、あるいは覚りの境地に至ったとき、いかなるものに対しても感謝の念を生じることはあり得ないのです。


*法津如来のコメント

「無分別智を得たとき、誰かに感謝したり、自然や世界に感謝したり、超越者に感謝したり、あるいは自分自身に感謝したりする気持ちを生じることはありません。」 

これはなぜか?

感謝とは、誰かや何かに対して、ありがたいと思う気持ちです。

その気持ちには、その気持ちが現れた根拠があるのです。

無分別智は何かを根拠にして現れるのではないのです。

無分別智を得るにあたって最も重要な働きをした言葉(法の句)も、それを縁にしておりますが、それを根拠にして得たのではありません。

というわけで、その時は感謝の気持ちはあらわれません。


この記事へのコメント

才木広之
2021年04月22日 09:50
一切の根を滅ぼし尽くす事

最終解脱・一切解脱

これ以上ない解脱