「無分別智(その45)」

SRKWブッダのホームページの理法「無分別智」」の引用、その45。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou029.htm


[喜ばない]

無分別智を得たとき、それは後で振り返っても喜ぶべきことであるとは思うのですが、実際には小躍りするような喜びの感情を生じることはありません。 

なぜならば、無分別智を得たとき、それと同時に(世俗的な)喜怒哀楽の感受作用が消滅した自分を発見するからです。 

無分別智を得たとき、そこにあるものは喜びではなく、特殊な感動のみであるからです。


*法津如来のコメント

無分別智を得たときの具体的な例は、法の句を聞いたときです。

私の場合、実はその前に、我がままな孫に対して怒っていたのです。

それに対して私は自己嫌悪に陥って、私は真剣に自分は何年修行をしてきたのだ、何にも変わっていないではないか、そこで深く懺悔をしたのです。

その時、別の孫(善知識)が私にある言葉をいいました。

私は、その言葉は孫の言葉とは思われませんでした。

それは法の句だと思ったのです。

え、え、え、今がその時なのか?

本当なのだろうか?

本当に稀有な出来事が今起きているのだろうか?

・・・・・

これ以上なんともいえません。

しかし、実際には小躍りするような喜びの感情を生じることはありませんでした。 



この記事へのコメント

才木広之
2021年04月23日 16:21
無常ですからね。

完璧に心の汚れが消えたと同時に一切皆苦、無常を知るわけだから

完全智の状態です。
才木広之
2021年04月23日 18:41
此処にぴったりな法の句。

ダンマパダ・法句経・真理のことば 151

いとも麗しい国王の車も朽ちてしまう。身体も又老いに近づく。しかし立派な人々の経験は老いる事がない。善い立派な人々は互いに理を説き聞かせる。