石法如来の特別寄稿「歴史の闇・・・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)(その4)」

仏教寺院は、徳川幕府に庇護され優遇された反面堕落が見られるようになり、全国規模で学者らによる仏教批判が巻き起こって来ます。

圭室(たまむろ)文雄著作による『神仏分離』によると、四つのグループに分かれて仏教批判が持ち上がり、神仏分離思想が醸成されていったことを指摘しています。

第一は、儒学者のグループ。近世の儒学を牽引した藤原惺窩(せいか)とその門弟、林羅山、岡山藩の藩政改革にも尽力した熊沢蕃山(ばんさん)らは当時の仏教寺院や僧侶を痛烈に批判しました。

第二に、吉田神道のグループ。吉田神道とは、京都の神官吉田兼倶(よしだかねとも)が室町時代に起こしたもの。吉田神社系統の神社では率先して、権現などの仏教的なものを取り外すなど神仏習合色の払拭につとめていました。

第三のグループは、国学者のグループ。国学は、江戸時代中期に起きた『古事記』、『日本書紀』などの古典研究を重視するグループで、その中でも平田篤胤(ひらたあつたね)が注目されます。
平田は、復古神道をかかげ天照大神を皇祖と仰ぎ、その子孫である天皇を中心として反映していくことこそ、日本の歩むべき道であると強調します。
その復古神道の考え方は、幕末期の尊皇攘夷運動の精神的支柱となり、維新時の神仏分離政策・廃仏毀釈運動に大きな影響を与えていくことになります。

第四は後期水戸学のグループです。水戸学も、前期では学問的要素が強かったのですが、外国との緊迫した情勢の中、後期になって過激な尊皇思想が芽生えて来ます。
会沢正志斎(あいざわせいしさい・江戸後期の思想家。水戸藩士。)は、著書『新論』(しんろん)の中で「仏教は邪悪であり、日本は神道中心の祭政一致体制に戻す」必要性を説きました。

以上のように、江戸時代後期までに複数の学派が日本固有の神道への回帰と、仏教排斥を主張し始めたようです。特に、水戸藩や岡山藩では幕末を待たずして廃仏毀釈が展開された例もありました。

全国的に燃え上がった廃仏毀釈運動、鹿児島では一時寺院と僧侶がゼロになり、松本・苗木・伊勢・土佐・宮崎などでも市民を巻き込んだ激烈な廃仏運動が展開されました。
廃仏運動に対して、明治新政府は度々戒める布令を出しますが、全くのコントロール不能状態に陥ります。

廃仏毀釈が与えた、仏教界への影響は甚大で多くの仏教建築物、仏像、仏具、経典が灰燼に帰してしまいます。
また、神仏混淆が否定されたことで修験道や呪術などの民間信仰は著しく衰退し、京都では一時期五山の送り火や地蔵盆、盆踊りなどの仏教行事が禁止となりました。

僧侶の俗化が強いられ、廃仏毀釈により日本が古来から醸成してきた文化や精神性などもことごとく破壊されてしまいます。

振り返ってみれば、廃仏毀釈は取り返しのつかない日本宗教史上最悪の暴挙であったと言えます。明治維新という国家の大転換期において、それまでの「国家仏教」がいきなり「国家神道」に転換したのであり、その陰に日本仏教の多大なる犠牲が存在したと言えます。

廃仏毀釈の要因として考えられることは、やはり僧侶の堕落と言うことが一番に考えられるのでは無いでしょうか。それは、過去に起きた仏教の根本分裂を想起させます。
釈尊の滅後、100~200年後くらい(紀元前3世紀ごろ)に、教義や戒律についての解釈の違いを巡って、古代インドの仏教教団が上座部と大衆部に分裂した事件です。仏教教団には初期の頃から保守派と進歩派の傾向が異なるグループが存在していて、それらの抗争が次第に表面化したというのが真相のようです。

人間である以上、分裂騒動は避けられないのかも知れません。そう考えると、恵まれた環境下に長年浸かれば堕落するのはある意味当然であり、仏教本来の目的(衆生救済)を忘れ、私腹を肥やして神官を見下し農民から年貢を取り立てる等の行為を平気で行うようになります。

そのような行為が、日本人特有の「熱しやすく冷めやすい民族性」とマッチし、一気に燃え上がり攻撃的行動に移行したとも言えます。それが証拠に、廃仏毀釈は「始まるのも早かったが終わるのも早かった」と言われています。

廃仏毀釈の騒動は、時代のあだ花(実を結ぶことなく、はかなく散り去る花のこと。)であったと言ってしまえばそれまでですが、人間の「行為の積み重ね(業)」には慎重であらねばいけないことを教えてます。

今回の記事は、(その4)で終了です。記事を書くにあたり、『仏教抹殺』(副題:なぜ明治維新は寺院を破壊したのか)鵜飼秀徳(うがいひでのり)著:文春新書刊を参考にしました。


*法津如来のコメント

日本に廃仏毀釈ということがあったことが、現在ほとんど話題にされることがないようですが、幕末から明治維新にかけてあり、人間の習性が如実に現れています。

歴史は繰り返すといいます。人間の習性が変わらない限り、このような事態は繰り返されるのでしょう。

今、この社会においても形を変えて起きています。このことを知るべきです。

石法如来、ありがとうございました。


この記事へのコメント

才木広之
2021年04月24日 16:15
有難う御座いました。