「無分別智(その25)」

SRKWブッダのホームページの理法「無分別智」」の引用、その25。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou029.htm



[精神集中の結果ではない]

無分別智は、精神集中の結果得られるものではありません。 

無分別智は、精神統一の状態において顕現すると(知る人は)知るからです。 

現代的に表現すれば、完全なリラックス状態で顕れ、完全なるリラックス状態に安住せしめるものであると(知る人は)知るからです。


*法津如来のコメント

精神集中とは、意識の焦点を何かあるものに合わせることです。こうすると、あるものについては理解が深まり、そこに問題があれば解決できる場合があります。

しかし、世の中の問題はどこにあるかわからず、またよい解決方法も自分の考えの枠を超える場合が多いのです。

ですから精神集中では、無分別智は現れません。

精神統一とは、何か特別なものに意識を集中ということではなく、意識を落ち着いた安定した状態に保つことです。しかも、意識ははっきりした知覚状態になっているのです。

はっきりした知覚状態とは、心の汚れがなくなっている状態です。

このような状態の時に、無分別智があらわれます。

人間は完全なリラックス状態になるのは難しいのです。

心が汚れているために意識がはっきりした知覚状態になってなく、しかも心が絶えず外部刺激によって揺れ動いているからです。

心の汚れを取り去れば、外部刺激によって動揺しない、完全なリラックス状態を保てます。

最後に、参考になるダンマパダの偈372を紹介しましょう。


「明らかな知慧の無い人には精神の安定統一が無い。
精神の安定統一していない人には明らかな知慧が無い。

精神の安定統一と明らかな知慧とがそなわっている人こそ、すでにニルヴァーナの近くにいる。」



この記事へのコメント

才木広之
2021年04月05日 05:58
成すべき事を成した人には

一切蟠り(わだかまり)がなくリラックス状態です

全く(まったく)の無欲で布施をしたなら

完全なリラックス状態です

生きとし生けるものが幸せでありますように