「無分別智(その27)」

SRKWブッダのホームページの理法「無分別智」」の引用、その27。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou029.htm


[自力でも他力でもない]

無分別智は、自分ひとりで得られるものではありません。 

かといって、他力本願で得られるものでも無いのです。 

無分別智は、正しい熱望をもって人と関わる中で生じるものであると(知る人は)知るからです。


*法津如来のコメント

昨日の「法津如来のコメント」でも書きましたが、法の句(無分別智の現れ)は人から聞くものですから、自分ひとりで得られるものではありません。

また、無分別智は自分ひとりで完結するものではありません。他人との関係において現れるものです。

しかし、法の句を聞くのは自分です。また、無分別智にしたがって行うのは自分です。

というわけで、自力でも他力でもないのですが、自力も他力も必要です。



この記事へのコメント

才木広之
2021年04月07日 08:07
正しい人間関係。

人との筋を通す。

これがないと智慧は現れません

生きとし生けるものとの

筋を通さないと智慧は現れません。

生きとし生けるものとの筋を通すなら、

これ以上成すべき事がない

涅槃があります。
才木広之
2021年04月07日 08:17
筋を通すとは、

結局コミュニケーションなんです。

それは慈悲なんです。
才木広之
2021年04月07日 08:23
慈悲が

これ以上成すべき事がない

そこは涅槃です。

その時点で涅槃です。

その後は、この生が尽きる時が涅槃ですが、

途中の時点で度々涅槃はあるかも知れない

しかし、この生が尽きる時が最終的な涅槃です。

慈悲がこれ以上成すべき事がない。