「無分別智(その26)」

SRKWブッダのホームページの理法「無分別智」」の引用、その26。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou029.htm


[瞑想の結果ではない]

無分別智は、いわゆる瞑想(メディテーション)の結果得られるものではありません。 

また、瞑想中に生じるものでもありません。 

無分別智は、いわゆる瞑想(メディテーション)とは無関係に生じたものであると(知る人は)知るからです。


*法津如来のコメント

いわゆる瞑想(メディテーション)は、いつも忙しく、慌ただしく生活している方には、1日に短時間(5分から10分くらい)はあってもよいでしょう。

しかし、1日に長時間(1時間以上)瞑想をするのは時間の無駄でしょう。

そのような時間があるのならば、他の仕事や勉強や趣味などに時間を活用した方が人生が豊かになるでしょう。

実は私は、睡眠3時間、食事や排泄など以外にはすべて瞑想をしていた時期もありました。

確かに、その時は心は落ち着いて穏やかになったような気がしていましたが、その状態から出て人と会い、人の声を聞き、話を始めると、心は元の状態にもどります。

心は全然変わっていなかったのです。

無分別智は二つありますが、両者ともいわゆる瞑想(メディテーション)の結果得られるものでないことはあきらかです。

一つは法の句(無分別智の現れ)は人から聞くものであり、もう一つは解脱者の行為に現れるものだからです。