金剛般若経について

昨日で無分別智の解説は終わりましたが、最後に金剛般若経の言葉が話題になりました。

金剛般若経は、岩波文庫「般若心経・金剛般若経」(中村元・紀野一義訳注)に収載されています。

その『金剛般若経』解題には次のように記されています。

(以下引用)

『金剛経』または『金剛般若経』というのは略称であって、詳しくいうと漢訳で『金剛般若波羅蜜経』また

は『能断金剛般若波羅蜜多経』として伝えられている経典である。諸の般若経典うちで最も簡潔でひろく読

まれているのが『般若心経』であり、それに続いて広く読まれているのが『金剛経』である。

(以上引用)

この『金剛般若経』の一句を聞いて開悟したと六祖慧能の説法録である『六祖壇経』に書いてあります。

その一句とは、昨日掲載した「まさに住するところなくして、しかも其の心を生ずべし (応無所住而生其心)」だったのです。

また、この金剛般若経の霊験はあらたかで、慧能ブッダから1300年後にも、不肖私が解脱知見を得る縁となったのです。




この記事へのコメント

才木広之
2021年05月01日 11:44
才木広之に此れで全てが終わる。全てが解決する。一切の問題が終わる。

と明らかに目覚めた言葉は次の言葉です。其の言葉は縁あってゴータマ・ブッダの言葉でした。

https://dananet.jp/?p=4885

目覚めが起きてから直ぐに其の境地に定まり至り、そしてその時が来て、一切皆苦から一切勝利しました。

そして、過去にも現在にも一切の悩みが無くなりました。未来に悩みに陥る事もない。と知りました。

そして今其の経験が間違いない事を此処で今書いてます

法句経 一日一話 アルボムッレ・スマナサーラ原訳の法句経6番です
才木広之
2021年05月01日 11:52
但し、ゴータマ・ブッダの言葉だから、アルボムッレ・スマナサーラの原訳だから

目覚めたのではなく

誰の言葉だからと言うのがなく

言葉自体が真実として私の中にめざめ

誰かに感謝は起きませんでした

誰の言葉でもない

言葉自体が真実として私の中に目覚めたのです。

そして此れで過去も現在も未来も一切全て解決すると知り、間も無く其の時を迎え正しく

過去も現在も未来も一切解決し

そして今の自分が在ります。
才木広之
2021年05月01日 11:56
真実の言葉ダンマパダ6番が誰の言葉だろうが構いません

ゴータマ・ブッダの言葉でなかったとしても構いません。

誰かの言葉だから目覚めたのではなく、

誰の言葉でもない真実の言葉に目覚めたからです。
才木広之
2021年05月01日 12:03
ダンマパダ6番と書きましたが

正しくは正しくダンマパダ5番の言葉に目覚めました

https://dananet.jp/?p=4885
才木広之
2021年05月01日 12:13
もっと厳密に書けば

ダンマパダ

3から気付きがはじまり~

4で納得がいき~

5で確信に至り~

6で正に一切解脱が実際に現実的に起きます
たまたま見た者
2021年05月01日 12:13
5番ですね。ありがとうございます。
才木広之
2021年05月01日 12:25
ダンマパダ3~4~5~6

に至る為の日常の心得又は初心者がダンマパダ1~2と歩み始めるなら3~4~5~6と一切解脱に至りますし、その時既にダンマパダ1~2~3~4~5~6は悟ってます

それら全て完成したら正しい自覚者です

要するに

ダンマパダ1・2・3・4・5・6を携えて

ダンマパダ1から歩み始めれば

ダンマパダ6に至り、一切解脱に至り、ダンマパダ1・2・3・4・5・6を悟って、一切解脱し、正しい自覚者になります
才木広之
2021年05月01日 12:35
悟り、解脱、自覚

を説明しておくと

言葉で分かった。過去の経験からまその通りだ、と目覚めた状態が悟り。

次に実際に今から試して確かめてみたいと、試して確かた時点で過去の自分から解脱し正しい自覚者となる

これが

悟りと解脱と自覚の説明です
たまたま見た者
2021年05月02日 11:30
法律如来さま、いつもブログ更新ありがとうございます。

才木さんやそのほかの方々のコメントもいつも拝読させていただいております。

才木さんのダンマパダ1番~6番の話、できたらもっと学びたいです。

いつもありがとうございます。
才木広之
2021年05月02日 18:30
ダンマパダ一番から書いて見ます。

此の体は、補足を求めます。

其の体の言い分を聞いて、体の外の世界に補足物を探します。

此れを行う主体が自分とします。

主体として自分が生まれたと言えます。

行いを終えないと、此の自分が滅しない、と思うなら、

ダンマパダ一番です。

回る車輪を転がして運んでいます。

しかし

此の思いを捨てるなら

安楽になり、捨てた思いが影のように寄り添います。捨てて善かった、捨てた事で安楽になったと、捨てたものを影のように寄り添い、捨てたものが喜びとなります。寄り添う影が喜びとなります。

ダンマパダ三番では
他人に何かをされた、他人が自分の事をこう思っていると言う、自分の心に生まれた自分が作った他人の心に自分が囚われてます。此れ等一連の心が生まれた自体に、煩わしいと言う怨みが現れています。

ダンマパダ四番では此れ等一連の全ての心を一切捨ててしまいます

其の解説が
ダンマパダ五番であり
自分の心に色々と生まれた自体に怨みがあり、自分の心に色々と生まれた一切を捨てるなら、怨みは消えると解いてます

ならば
ダンマパダ六番は
生きる事自体を捨てます
真から理解でき今命に対する執着が消えたら
食べると言う仕事から、食べると言う労働から、食べると言う支配から、開放されます

すると、あらゆる一切の葛藤が消えます

生きる、死ぬの葛藤
食べる、食べないの葛藤
食べるのを我慢する、食べるのを我慢しない葛藤

それら一切の葛藤が生じません

生死の葛藤が生じません

葛藤自体が何も生じません

判断が生じません

疑問が生じません

悩みが生じません

煩わしい事は何も生じません

才木広之
2021年05月02日 18:42
自分の心に何か問題が現れたら

解かなければ解決しない

解かなければ問題が消えない

と思うならば

ダンマパダ一番や三番です。

煩わしい事が自分の中に現れた事自体に怨みが生まれ、その怨みは自分自身に向くか、自分の外に向きます。

それらを捨てるなら

ダンマパダ二番四番で

解説が

五番六番です。
才木広之
2021年05月02日 18:54
法津如来になられる以前のダンマパダ、スッタニパータは確かに、未熟な者同士一緒に成長を目指し歩んだそのものとして貴重な歴史です。

しかし、今、法津如来として

ダンマパダ、スッタニパータの解説を法津如来に期待します。
才木広之
2021年05月02日 22:28
折角なので、もう少し突き詰めます

今、

「どうしたらいいか分からない」

「何かした方が?」「何もしない方が?」

「どうしたらいいか分からない」

此れ等の状態は

無明と貪りと怒りと全て揃った状態です。

しかし、

「何もしなくていいんだ」と明らかな悟り自覚が生まれたなら、

無明も貪りも怒りもなく

安らかです。

安らかとは

亡くなった人に対して

「安らかに御眠り下さい」

の安らかに自身が至ります。

その後は

根本的に

「何もしなくていいんだ」

の中で生きる事になります

此の状態がニルヴァーナと言うか?

それとも

本当に何もしない状態がニルヴァーナか?

どちらにしても根本的に何もしなくていいんだが

あります

だから

無明、貪り、怒りが根本的にありません
才木広之
2021年05月02日 22:49
言葉の意味が分かりにくい人の為に

例えばなしをします。

全身コンクリートで固められて身動き出来ない呼吸だけは出来る状態だとします

「何もしなくていいんだ」と悟り自覚が在る人は

此の状態でも

無明、貪り、怒りがありません

「何もしなくていいんだ」があります。

何も食べられず飲めず動けずの状態でも安らかです

「何もしなくていいんだ」と

しかし

無明、貪り、怒りの在る人は

無明から、動こうとし(貪り)。動けない(怒り)が生じます

コンクリートで固められてるのに

「何かしたほうが?」

「動いた方が」

「動かない方が」

と無明と貪りと怒りの中にあります
才木広之
2021年05月03日 03:15
過去の経験、未来の想像が無く

今の現実を今の現実として受け入れてる状態に在るのが

無明がない、貪りがない、怒りがない

と言う事です。
たまたま見た者
2021年05月04日 08:05
才木さま たくさんのお心をありがとうございます。

一大事関心を持って拝読させていただいております。

法律如来さまのブログを通して、直近に限定すれば、才木さまのお言葉、石法如来さまのお言葉と、何故ご縁がついたのか分かりました。

今は私の中だけ知っていることですが、私には奇跡のようであり、あまりにも一致があり過ぎるのです。

本当にありがとうございます。