石法如来の特別寄稿:「輪廻」という幻(イメージ)その3

釈尊という方は極めてリアリストであり、この世の現実をあるがままに観て現実に即した理法を説かれた方であると書きました。
しかしこの世を見渡してみると、衆生が感心あるのは死んだ後どの様な世界に赴くのだろう?という疑問と不安に基づく問いです。当然そこには、霊的な存在の問題があります。

霊的な存在に関して、仏教の教えとは本来全く関係が無いのですが、世間の感心はまるで違います。かつて私が所属していた阿含宗では、「霊障」(れいしょう・霊の障り)の実在を説き「霊障解脱」(れいしょうげだつ)なる修法(しゅうほう)により資金集めをしておりました。
人間という存在は、見えない世界に対し恐怖心を持つものであり、その恐怖心に「霊的な力」が及ぶとそれを「障り」(さわり)と捉え怖れます。

最近、インターネットの動画で「アメリカがいよいよUFO(未確認飛行物体)の情報開示」を行うという情報を目にしました。その中に、「全宇宙の95%は謎」という言葉があり、認識出来る知識以外の現象は知識の外側にあると語っていたのが印象的です。

私達は、非常に狭い範囲の認識世界に生きているという事実がよく理解出来ます。だから、釈尊の説かれた「一切」の教えの中で、この現象世界における問題を現実的に捉え・考え、人間が認識出来る範囲のことを説かれた意味が理解・納得出来るわけです。

阿含宗と霊の関係を少し述べましたが、私の阿含宗在会末期に「独鈷の加持」(とっこのかじ・ 密教で用いる法具を使っての加持祈祷)なる法の伝授がありました。
私は興味がないので受講しませんでしたが、どうやらこれは霊的エネルギーに反応する密教の法らしく、旧知の先輩が受講しました。

退会後、伝え聞いたのはその先輩が「精神的におかしくなった」という話です。霊的エネルギーの存在を全く信じないわけではありませんが、霊的世界に下手に関わるとマイナスの障害を受けることがあるのです。

世間一般、身近に存在するのは低次元の精神・感情エネルギーの残骸ばかりです。例えば、「恨み・憎しみ・苦しみ・悲しみ・強い欲望・執着心」などなど・・・。その様な精神作用を、保持したままこの世を去ると成仏できない(不成仏霊)と古来から語られます。
マイナスのエネルギーに関わると、自分自身の精神も落ち込み場合により回復困難な状態になることもあり得るというのは、先輩の例を見れば明らかです。

奇しくも、この記事を書いている日の前日(2021年4月18日)ヤフーニュースに、「”臨死体験”を50年研究した今、「生命には肉体以外の何かがあると確信しています」」という記事が掲載されました。(以下、参考に抜粋)

アメリカ・バージニア大学の名誉教授で精神科医のブルース・グレイソン氏は臨死体験について人々と対話を重ねて来たという話題です。

麻酔の副作用に見舞われたある患者は、自分の臨死体験について「見たこともない、この世のものとは思えないような、荘厳かつ輝かしい光で照らされていて、草の一本一本も内部に柔らかな火が灯っているように輝いていました」と語ったそうです。
体験談のほとんどに、これと似たような「不思議と心が晴れる至福の感覚」が含まれているとグレイソン氏は言います。

また、私達は三次元で生きているが、「自分が生死の場で見たものは、どこか次元を超越したものだった」として、表現するのは難しいと説明する人もいるようです。

ケンタッキー大学では、神経科医のケヴィン・ネルソン氏がグレイソン氏と同じく、長年にわたり臨死体験の記録をとっています。
ネルソン氏は、臨死体験とは「身体的あるいは心理的に大きな危機が迫ったときに起こる、覚醒状態とレム睡眠の状態という二つの意識状態が混ざったもの」だと考え、多くの臨死体験は「夢のよう」であり、神経学的に言えば「ボーダーランド」(二つの状態が重なりあう部分)で起こっていると論じています。


*法津如来のコメント

本日2回目のブログ更新です。

輪廻について、難しい問題に入ってきました。

次の展開が楽しみです。

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