輪廻について

先ほど掲載した「『輪廻』という幻(イメージ)その6」をもって、石法如来の「輪廻」は幻でありこころで描くイメージにしか過ぎないという見解の解説はおわりました。

そこで、私もこの見解を踏まえて、少し私の見解も述べておきます。

その前に、SRKWブッダはその著書「ブッダの世界観」の中で、「古典的輪廻説」「輪廻説の取り下げ」「寂滅論の提起」についておられることをお知らせします。それについては、後日このブログでも紹介しましよう。

さて、ほとんどの宗教は死後の世界について述べております。

そのために、世界の多くの人々は何らかの形で死後の世界があると集団無意識に刷り込まれているでしょう。

たとえ、強固な唯物論者といえども、彼らが死後の世界はないと言えば言うほど、彼らの潜在意識にその存在が刷り込まれていくでしょう。

輪廻は幻(イメージ)と考えると、輪廻はあることになります。

イメージの世界はなんでもありですから。

そうすると、輪廻は本当に幻(イメージ)なのでしょうか?

それが問題になります。

そこで私も、輪廻は幻(イメージ)だという見解です。

今日はここまでにしておきます。

この記事へのコメント

清水
2021年05月17日 10:38
イメージ(幻)も縁起です

縁が生じれば現われるし、縁が無くなれば消えるようなものです

この理を知り、渇愛を断たなければ、九官鳥のように輪廻は幻といくら囀ろうが、そこより逃れる術はないのではないでしょうか

悪夢の渦中にいる人が、そこより目覚めぬように



nt
2021年05月17日 14:35
新潮社「仏教思想のゼロポイント」(魚川祐司)にあったミャンマーの僧侶ウ・ジョーティカの言葉を紹介いたします。

{
輪廻とは、精神的と物質的のプロセスのことです。それが輪廻とよばれるものです。
ある人が、1つの生から別の生へと移るという、物語のことではありません。
本当の輪廻とは、本当の廻り続けることというのは、この精神的と物質的のプロセスが、ずっと続いていくことを言うのです。それが輪廻とよばれるのです。
} 翻訳:魚川祐司

同書の中で魚川祐司は、「無我だからこそ輪廻する」とし、「現象(名色)の継起が輪廻である」としています。
才木広之
2021年05月17日 15:09
先ず、肉体、体、からの解脱を

頭と心がします

すると

肉体、体に支配されない

頭と心になります。

その状態で

頭から

心が解脱します。

すると、体、頭、心がバラバラ

体、頭、心がそれぞれ独立し

機能しなくなるんです

それが

完全死、完全な涅槃です

完全死後、完全な涅槃後

まっさらな自分が生まれます

此の者にとって

完全死前、完全な涅槃前の人生は既に前世になります
清水
2021年05月17日 17:32
この世の物事に限定して話します

例えばテレビのドラマを見るとします

このドラマは、やらせです

フィクションだと誰もが知っています

やらせと知っていても

フィクションと知っていても

今目の前にテレビがあるなら

見ようと思えば見えるのです

頭で、やらせだと、フィクションだと、知っていようがいまいが

縁がつけば見えるのです


でも、先に、見ようという心がなかったら

たんに網膜には映っても、

見ていても見えないのです


あれを見よう、これを見ようとうい意志があれば

あとは縁があれば見えるのです


ドラマが終わっても

テレビの映像的には消えていても

まだ心に見たいという欲があれば

縁があればまた映るのです


見ることを止めれば、止むのです