北海道の読者からのメール

北海道の読者からの電話のあと、その概略は昨日のブログに書きましたが、御本人から次のメールを頂きました。「先生のご判断で、いつでもお役立てください。」とありましたので、本文の前後は省略しますが、引用します。

(以下引用)
怨みを捨てようと思ってから、怨みの背景に欲があることが分かったんです。

だからそこの欲(執着)を断てば、原因である欲がなくなるからもう怨めなくなるんですね。

怨みも縁起の上でしか存在できないんですね。

怨みを認識してから後、その怨みを持ったままで、敢えて怨みを捨てようと思ってみるのです。

怨みを捨てようと思ってから後、自分にとって執着している欲情の象徴のようなものが現われたら、

それを観続けるのです。

考えるのではなく、観続けるのです。


私の前に現われたシンボルは美ならざるものでした。

あばたもえくぼと同じようなものであり、

執着している間はそれを美なるものと見ていたと後で知るのです。

しかし今現われているシンボルは美ならざるものなのです。

美ならざるものを観、美ならざるものと知れば、
心はそこにとどまっていられなくなるんです。

心はそこから離れていくようになるんです。

そして怨む対象が、そこにはないと知るようになるのです。

そこに執着して、それを通して相手を見ていたのです。

そうすると相手は憎しみの対象になるんです。

しかし怨んでる相手は、
もうそこにはいないし、
そこを見てないのです。

同じものを観てないし、それはかれらではないのです。

それはたんなる象徴なのです。

相手はもうそこにはいないし、
そこを見てもいない。

今見ているシンボルは、憎む対象であった相手ではない。

そうすると、憎む対象がないって知るようになるんです。

憎む対処じゃないものを見て憎んでいたと知るようになるんです。

そこへの執着が、怨みを生み出していたと知るようになるんですね。

そのように知って来ると、もうしがみつく価値がなくなってくるんですね。

それらは考えてるんじゃなく、心からそう思えるようになってくるんですね。

その憎しみの正体をはっきりと観たなら、

はっきりと知ったならば、

突然、映像化された怨みが凝縮されたドロドロしたみたいのが

リアルタイムにみるみる溶けて消えていく光景をありありと観たのです。

そして完全にそれが消えさる瞬間、同時に怨みが消えてなくなるんです。

この光景は想像したのではなく、はっきりと観たことなのです。

これらは頭で考えてするのでは駄目で、私は観るということをしたのです。

ニンジンが嫌いな人が、ニンジンは美味しいと本に書いてあるのを読んでも、
ニンジンを好きにはならないのです。

頭で考えるのではなく、ただ観るのです。

頭で考えては駄目なのです。

ただ観るのです。

そうすることによって、そこは執着する対象じゃないってことを
心の底から、本心でそう思えるようになったとき
怨みが溶けて消えたのです。

この心の底、本心からそう思うというのは、潜在意識の次元での話を言ってるのです。

潜在意識に蓄えられていた個人の怨みの念が消えたのだと思います。

これをするには考えていてはできないことなのです。

ただ観ることによって、それは起きるのです。

これは表面的なことではなく、内面の変化なのです。

心の底から、本心からそのようになると、

もう心は、かつての怨む相手を追わなくなるんです。

もう許しが完了しているし、手放しているし、

慈悲の心で観ることもできるようになるんです。

これ程まで怨んでいた相手を、一瞬にして慈悲のまなざしで観ることも
できるようになるんです。

シンボルを智慧によって観たとき、怨みは溶け、そして消えてなくなるのです。

それは突然やってくるのです。

(以上引用)