自分のこだわりに気づくことは意外に難しい

今日は5月6日(木)です。連休の中の平日。東京都中野区の外は小雨です。

さて、今日のテーマは「自分のこだわりに気づくことは意外に難しい」です。

前回、自分が公案を解くことにこだわっていたことに気づいたと書きました。

自分がこだわっていることは、自分にとってはそれが当たり前だからです。

それは当たり前でしょうと思ったときは、それが本当に当たり前であるのか、考えた方がよいのです。

しかし、そのようにはなかなか思えません。

それに、気づけるのは他者との関係である場合が多いのです。

他人との意見の違いがあったら、自分の自分の意見の正当性を主張するよりは、自分は何かこだわっていないか考えた方がよいのです。

その時、自分のこだわりに気づけます。

その意味では、自分の異なる意見を持つ他人は自分にとってありがたい存在なのです。

そのような人々は、自分にとって大切な先生なのです。

なぜならば、自分のこだわりが自分の自由を拘束して、自分を苦しめているからです。

もしかしたら、そのことはわかり難いかもしれませんが、よく考えてください。

自分のこだわりのように思わなくてもよいと考えたら、苦しみから離れ、楽になるはずです。


この記事へのコメント

才木広之
2021年05月06日 14:30
生と死は逆さまだから

何かに拘りようがない

拘る事が出来ない

拘れない
才木広之
2021年05月07日 01:09
息を吸う

息を吐く

息を止める

何れにも拘れない

拘る事が出来ない

拘る事は不可能

才木広之
2021年05月07日 01:12
拘ろうとするなら

苦しいだけ

苦しさは次第に増し

遂に拘れない

其れでも拘りたいなら地獄である