輪廻について(続き)

今回は、SRKWブッダ著「ブッダの世界観」より、「古典的輪廻説」を引用します。

(以下引用)
この世の真相を明らかにするという観点からは、輪廻について語らないわけにはいか ないであろう。しかしながら、この世で修行し、完成させて、覚りに達するという観点で 言えば輪廻について語る必要は無いこととなる。

折衷して、覚りに向けた修行と輪廻との関係性について語るということを履行するな らば、それは解脱知見に関することがらとして述べることになるだろう。

さて、覚りには大きく四つの階梯があると古典的仏教観では説かれる。すなわち、預 流、一来、不還、および阿羅漢である。このうちの不還および阿羅漢は二度とこの苦悩の 世には戻ってこない覚りであると言う。また、一来は一度だけこの世に戻って解脱を果 たしその後は戻ってこないことが確定している覚りの階梯である。そして、実際にこれ らの階梯に達した人は、自分自身そのことを覚知すると信じられている。

確かに、これらの階梯に達した人はそれが修行の結果として得た階梯であり、人が予め これらの階梯に達した状態でこの世に生まれ出ることなどあり得ないことだと了知して いる。そして、その認知ゆえに輪廻が仮に実在するとしても自分は決してこの世には戻っ てこないことを――一来は一度だけ戻ってくるであろうことを――確信するわけである。
ただし、覚りの階梯に達した修行者といえども輪廻の実在を実感しているわけではな い。何となれば、過去世を想い出したりすることはなく、死後の行き先が見えたりするわ けでもないからである。

実際のところ、自分が死して後に赴くことになるであろうこの世とは別の界の実在は、 この世にこの世ならぬ法の句が出現することによってのみ推認されることである。すな わち、この世には存在しないと確信される法の句が実際に世に出現するという事実を鑑 みて、その出自としてこの世ならぬ別の界の存在が強く示唆されるという構図だからで ある。

また、複数の法の句の内容を吟味することで、法の句の出自たる界(法界と名付けられ る)は、やさしさに満ちた界であって悪がまったく存在しないと考えられ得る。そこで、 法界を諸仏の住み処とも呼ぶのである。

しかしながら、これだけの事由で法界の実在や慧解脱者たるブッダの死後の行き先が 法界であることを断定することはできないであろう。実際、近代における学問の発展や 技術の発達によって地球が太陽系や宇宙の中でどのように位置づけられるのかというこ とが学術的にも撮影された映像としても捉えられて来ているからである。そして、天空 に彼方に目に見える形で天界や法界があるわけでは無く、また地面のずっと下に地獄が 存在しているわけでも無いことは明白な事実となったわけである。

以上のことから、輪廻説は再考されなければなるまい。その具体的なことについては、 次章で詳しく説明したい。
(以上引用)