北海道の読者からの電話(続き)

昨日の続き、本題にはいりますが、あまり具体的なことはプライバシーに関わりますので、曖昧な表現になります。

彼は、10年ほど前の出来事について心を悩ませていました。

その出来事を思い出すと、単なる恨みというよりは激しい憎しみという感情が湧き上がってきたと言っていました。

何かのおりに度々その出来事を思い出し、憎しみの感情を感じていたそうです。

寝床でも思い出すことがあったそうです。

ところが、昨年2020年1月ごろ、憎しみの対象が溶けてしまったような感覚で、憎もうとも憎めないという状態になったというのです。

その出来事を思い出し憎しみの感情を感じていた中で、憎しみの構造が見えてきたようです。

憎しみの裏に、欲があり、その欲に執著していたというのです。

その執著は消えて、憎しみが消えたようです。

彼は、師無くして、独自にSRKWブッダの言われる観(=止観)を行っていたのでしょう。

その後、しばらくしてダンマパダに巡りあい、その3偈、4偈、5偈を読んだとき、この通りだなと感じたそうです。

ここでそれらの偈を引用します。(中村元訳「真理のことば・感興のことば」岩波文庫より)

3 「かれはわれを罵った。かれはわれを害した。かれはわれにうち勝った。かれはわれから強奪した。」という思いを抱く人には、怨みはついに息むことがない。

4 「かれはわれを罵った。かれはわれを害した。かれはわれにうち勝った。かれはわれから強奪した。」という思いを抱かない人には、ついに怨みが息む。

5 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。
怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。

(以上引用)

彼はこれらの偈を読む前に、この真理がわかっていたので、この通りだと思ったのです。

しかし、この真理がわかっていない人は、「どのようにして怨みを捨てるのか?」などという疑問がでます。

そのような人には、これらの偈は努力目標になるのです。

彼は、次の課題は6偈だと言っていました。

6 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである。」と覚悟をしょう。___このことわりを他の人々は知ってはいない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。(前掲載から引用)

近々新たな如来が出現するかもしれません。楽しみです。