観(=止観)について

SRKWブッダは観(=止観)について、ホームページ「覚りの境地」の「理法」の欄で解説されています。
長文ですので、その前文を引用します。また本文については参考のために項目のみを引用します。
是非、時間のある時にじっくりとお読みください。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou004.htm

(以下引用)
【観】
観は、言ってみれば思索を超えた思索であり、人をして覚りの境地に向かおうとするこころを培うのに役立つものである。なんとなれば、観がまさしく完成しつつあるときに、過去に出会った一大事因縁を想起することを得たならば自ら解脱に至ると期待されるからである。

しかし、観は覚りの修行法そのものではない。つまり、観を完成するだけで覚りの境地に至ることは無いと知らねばならないのである。しかしながら、分かり難いかも知れないが、正しい観によって培われた徳豊かな心はいわば覚りの前提であることは間違いないことである。

なお、世間においては、観を止(シャマタ)および観(ヴィパッサナー)の二つに分けて別々に論じることも聞き及んでいるが、実際には止・観はその両方が相補的に存在するのが本当の姿(実相)である。 

→ 補足説明(2)を参照。したがって、本稿では止・観を個別に論じることは行わず、併せて観と表現する。また、観はいわゆる瞑想(メディテーション)や気づき(サティ)とは無関係である。



[観の環境と姿勢]

[観の対象]


[慈悲観]


[平等観]


[特殊な感動]


[補足説明]


[補足説明(2)]

(以上引用)

以上ですが、2020年11月6日から5回に分けて、「仏道の真実++」の「観(=止観)」の解説を行っております。こちらの方がもう少しわかりやすいかもしれません。
https://76263383.at.webry.info/202011/article_7.html