わかちゃいるけど、やめられない

「わかちゃいるけど、やめられない」という言葉があります。

一方、「三日坊主」という言葉もあります。これは良いとわかっていても、やめてしまうということです。

前者はやめられないということですが、後者はやめてしまうということです。

しかし、どちらも自分の意思と反対の結果になってしまうということです。

なぜでしょうか?

それは心は自分の意思とは異なるものに支配されているからです。

心を支配しているものとは何でしょう。

それは無意識と言われるものです。

無意識という言葉の定義はいろいろありますが、潜在意識や深層意識と言われるものです。

それに対する言葉としては意識、顕在意識、表層意識となります。

厄介なことに、無意識ですから、自分では意識できないのです。

ということで、「わかちゃいるけど、やめられない」では、意識はやめたいと思っているが、無意識はやめたいと思っていないということです。

また、「三日坊主」は無意識はやりたくないから三日でやめるのです。

ですから、意識できない無意識は何をしたいのか知ることが大切です。

それは本当の自分の気持ちを知ることなのです。

ただ、ここには少し複雑な事情があります。

まず本当の気持ちは無意識ですから、なかなか知ることができないのです。

無意識は、自分に不都合な事実は隠し、捻じ曲げるのです。

また、その気持ちは無意識の未熟な判断によって作られたものなのです。

それはほとんど間違っているのです。

間違った判断によって支配されれば、人ば苦しむことになるのです。

ですから、人が苦しんでいるのは、自分の無意識の間違った判断によって苦しんでいるのだと知る必要があるのです。

そのことが理解できれば、自分の無意識を探求するのです。

無意識は自分の背中のようなもので、自分には見えませんが、他人にはある程度見える場合があります。

信頼できる人に、自分の癖や自分の長所や短所を聞いてみるのです。

聞かなくとも、自分の言行に対して他人がどのように反応するのか注意深く観察すればある程度わかります。しかし、この判断は自分の主観的な判断ですから、おうおうにして間違います。

また、自分の過去の言行を思い出してみるのです。過去の出来事ですから、少し客観的に考察できます。
これは、省察や観(=止観)につながります。

善知識(=善友)の発する法の句は、自分の無意識を知り、それを改善する最高のものです。