「覚りの因縁」が届く

昨日、SRKWブッダの第四番目の著書が注文していたアマゾンから届きました。
この著書の「はじめに」は2021年7月6日の記事で引用しました。
また、7月8日には「目次」を引用しました。

本日は、「あとがき」を引用いたします。

(以下引用)
あとがき

思うに、人が人として完成を見たとき以来、この世には数多の仏が出現したであろう ことは疑いの余地はない。

ところが、現実には、釈尊が世に仏教を広めてからこの方、実際に作仏した人は数十 人程度に留まるようである。

名が残っているブッダは数人に過ぎず、名前こそ残っていないがブッダであったこと が間違いないと考えられる人々の数も、主要な仏教経典の数や仏塔の本数から類推でき る程度に過ぎない。

その数は、釈尊以来この世に生まれた人の数から言えば余りにも少ないと思われよう。

このため、特別な素質や才能、あるいは前世において沢山の功徳を積んだ修行者でな い限り、現実に覚ることはできないのだとする誤った見解さえ、世に蔓延するありさま である。

しかしながら、人は誰でも修行して功徳を積みさえすれば覚って仏になれるという真 理は、嘘偽りのなく本当のことなのである。ただ、世の人々は、それが功徳を積むこと によって生じる因縁に縁って起こるという覚りの本質を見失っており、それゆえに修行 そのものが空回りしていることが見て取れるのである。

逆に言えば、この覚りの因縁さえあれば誰もが覚るのだと確約することさえできよう。

本書は、この覚りの因縁について、余すところなくその真実を述べたものである。こ ころある人がこの本を読めば、因縁の不可思議さと、威力と、それが人を究極のしあわ せの境地にいざない、至らしめる本体であることを理解するであろう。
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そして、その理解にもとづき、自ら仏になるのだという正しい求めを生じ、功徳を積 み、実際に作仏することを得るであろう。

また、今現在は修行が空回りしている修行者も、この覚りの因縁の真実を知ったとき、 その瞬間から、それまでの修行遍歴が何ら覚りの障害になるものではなく、むしろそれ らが覚りに必要な遍歴修行となることを身を以て体現することとなろう。

ところで、知恵の輪に取り組んでいる人は、まだその知恵の輪が解けないからと言っ て、そのことを恥じたりしないであろう。さらに真摯に取り組めば、きっと解けることを 信じているからである。そして、実際にそれを見事に解く日がやって来ることになろう。
同様に、仏道修行者は、まだ覚りを得ることができないからと言って、そのことを恥 じる必要など微塵もない。むしろ、胸を張って、凜としてさらなる修行に勤しむべきで ある。そうすれば、遠くない日に、見事に作仏する瞬間を迎えることになろう。

そして、今現在は外道に馴染んでいる人であっても、この覚りの因縁を知り、理解し たその瞬間から、すでに立派な仏道修行者に他ならないのである。このような人も、自 らの修行について何一つ恥じることはあたらず、自分が心からしあわせの境地を求めて いることを広く表掲してしかるべきである。

真理は、区別することなく、人々をしあわせの境地たるニルヴァーナへといざなうも のである。覚りの因縁は、その真理の実在と、それがすべての人々に共有されているこ とを実証する元のものなのである。

2021年7月3日 自宅にて記す
(以上引用)

このような文章を書ける人は本物のブッダ以外にはありえません。