石法如来の特別寄稿:(十二支)縁起の考察(その7)

愛(あい・渇愛)の滅によって解脱が成就されるなら、十二支縁起説において無明を登場させる必要は無いはずといえます。その様な意味で、両説には明らかな矛盾が存在しています。この矛盾に対する解答を、経典から見いだすとすれば・・・。
 
「また次に聖弟子は、僧法の善く向ひ、正しく向ひ、直く向ひ、等しく向ひて随順行(ずいじゅんぎょう)を修するを念ず。いわゆる須陀洹(しゅだおん・はじめて法の流れに入ったものの意。)に向ひては須陀洹果を得、斯陀含(しだごん・一来と訳する。)に向ひては斯陀含を得、阿那含(あなごん・不還 (ふげん) と訳される。)に向ひては阿那含を得、阿羅漢(あらかん・覚りを得た人)に向ひては阿羅漢を得るなり。」(『雑阿含経』巻第二十(五五〇))と、聖者は四双八輩(しそうはっぱい・原始仏教や部派仏教における修行の階位のこと・四向四果 (しこうしか)ともいう。)であると説かれている点に注目する必要があります。
 
また、釈尊の入滅前の遊行の旅を記した経典(『ブッダ最後の旅』(大パリニッバーナ経))には、「アーナンダよ、修行僧サールハは種々の汚れが消滅したが故に、すでに現世において汚れの無い(心の解脱)をみずから知り、体得し、具現していました。
 
・・・アーナンダよ。ナーディカで亡くなった五百人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を滅ぼし尽くしたから〈聖者の流れに踏み入った人〉であり、悪いところに堕することの無いきまりであって、必ずさとりを達成するはずである。」と。
 
釈尊の弟子のつどい(サンガ)は、前述した経典と同様に四双八輩(二人づつの四組と、八人の人々)であると教えています。
それら二つの経典の記述から、修行の完成度によって到達する境地が自ずと異なる、という考え方が示されていることが判明します。
 
すなわち仏道修行の実践により、どの境涯まで苦の成立の大きな要因である愛(渇愛)、あるいは無明を断滅出来るかによって、到達する境地が異なるという考え方であり、その様に考えなければ前述した縁起支の滅に関わる修行の実践と、その到達する境界に関する疑問を解決することは出来ないのです。
 
第三節  十二支縁起の成立
 
十二支縁起は、仏教の縁起思想の中で最も完成されたもので、後世においても重視されました。ただこの十二支縁起は、最後が無明で終わっているために完成した縁起説になっているのであるが、しかしこの十二支を観ても、どうしてこのような十二支を挙げられたのか、そこに論理的必然性が見出し難いのです。
 
また、その成立についても前述したように、十二支縁起は他の縁起説に比し最も新しいと観られているが、明確な答えは見つかりません。しかし、最古層の経典に・・・。
「この状態から他の状態へと、繰り返し生死輪廻に赴く人は、その帰趣(きしゅ・行き着く先)は無明にのみ在する。」(『スッタニパータ』七二九偈)
 
と、十二支縁起のうちで最も重要な「無明」が明示されていることや、仏滅百年頃の仏教には釈尊の思想が確実に保存されていたと考えられますから、原始仏教時代すでに思想的発展を終えて、十二支縁起説の概要が成立していたのではないかとも考えられます。
 
それについて、平川 彰(ひらかわ あきら・仏教学者)氏は『インド仏教史』(上巻)の中で、「釈尊が菩提樹下において観じた縁起の真理は、おそらくもっと直感的であったはずで、その時すでに「無明」は発見されていたと考えられ、この真理を他に伝える為に種々に説明をなしたころに、種々の縁起説が成立し、最後に十二支縁起説によって縁起説が完成したのであろう。」と述べておられるが、いかなる縁起説においても、無知(無明)が立てられている場合には、それは究極のものとしてであり、それよりもより究極的なものを考える事は出来ないのです。