コロナ・パンデミックと恐怖

2019年の終わり頃から、2020年、そして今2021年9月も世界を恐怖が覆っています。

まだしばらく続くでしょう。

私が毎朝、唱えている般若心経に恐怖について書いてある言葉があります。

「___菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。___」

読み下し文にすると次のようになります。

「___菩提薩埵は、般若波羅蜜に依るが故に。心に罣礙なし。罣礙なきが故に、恐怖 あることなく、___」

(中村元・紀野一義共著『般若心 経・金剛般若経』)

覚りの智慧に安んじている修行者は、心に罣礙(名称と形態)がないので、恐怖がないと述べられているのです。

コロナ・パンデミックは自然災害か人災か別ににして、心に罣礙(名称と形態)があるから、恐怖が起こり、

心に罣礙(名称と形態)がなければ、恐怖はおこりません。

心の持ち方次第なのです。

良寛さんはもっと具体的に、わかりやすく次のように言っています。

「災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候」



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この記事へのコメント

才木如来
2021年09月06日 13:27
良寛さんの言葉にもう少し加えれば丸く調います

生きてくものが幸せでありますように

死にゆくものが幸せでありますように
才木如来
2021年09月06日 13:44
生きてく事が幸せなのか?

死にゆく事が幸せなのか?

決めるのは自分です

心の持ちようですから

生きてけるときには
「生きていけて幸せだ」

と思えばいいだけですし

生きてけないときには
「死ねて幸せだ」

と思えばいいだけですし

両方定義しないと真理になりません

良寛さんは片手落ちですね
才木如来
2021年09月06日 13:54
コロナが死ぬか?

自分が死ぬか?

どちらかが死ねば解決するわけです

どちらが死んで

どちらが生き残っても

いいわけです

ですから

生きてくものが幸せでありますように

死にゆくものが幸せでありますように

自分がどっちになっても構わないわけです

解決するのだから

才木如来
2021年09月06日 13:57
コロナと自分と

共存共栄

に落ち着くのが自然の摂理だが

さて、どうなるものやら
才木如来
2021年09月06日 14:04
コロナと共存共栄出来る者は生き残り

コロナと共存共栄出来ないものはどちらかが死ぬ

癌と共存共栄出来る者は生き延び

癌と共存共栄出来ない者はどちらかが死に

まー

一切の例外無く一切全ての生きとし生けるものと友好関係を結ぶ事が

普遍の幸せでしょうね

生きてくものが幸せでありますように

死にゆくものが幸せでありますように

自分がどっちになっても言い訳です

どっちでも幸せなんです
才木如来
2021年09月06日 14:07
自分が死にゆく時にも幸せで

しかも

生きてくものが幸せでありますように

と思えるならば

丸く収まるんです
才木如来
2021年09月06日 14:12
良寛さんが片手落ちなのは、

自分が災難に合うとき

自分が死ぬとき

自分の幸せは考えてるが

其の時

自分以外の幸せを考える事が抜けている

だから

自分が生きようが死のうが

生きてくものが幸せでありますように

死にゆくものが幸せでありますように

両方なければならない
才木如来
2021年09月06日 14:21
良寛さんの言葉を真理に直すなら

災難に合うものも、合わないものも、幸せでありますように

生きてくものも、死にゆくものも、幸せでありますように

これで真理です