なぜ、武道家は覚らなければ強くなれないと覚るのか?



昨日のブログ記事に、「強さを求める武道家も、結局、覚らなければ強くなれないと覚ります。」と書きました。

それはなぜでしょうか?

武道の修行者は、筋肉を鍛えることを始めます。

しかし、筋肉を鍛えても相手に勝てないことを知ります。

そこで技を学び始めます。

技は筋肉の強さとは異なる技術が必要になります。

指導者からは、力を抜けと言われます。

しかし、力は抜こうと思っても抜けないのです。

相手に腕を掴まれたら、緊張して力が抜けないのです。

生死をかけた勝負の場であれば、その緊張は極限に達するでしょう。

これは、単なる技術だけでなく、心を平静に保つ修行な必要になるのです。

そのために、達人と言われる人は、心の修行をしています。

また、本当に武道の技術を身につけるということは、すべての技術から離れ、すべてを無意識にゆだねることだと知るからです。


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この記事へのコメント

才木広之
2021年10月01日 11:39
動物には常に天敵がいます。天敵から身を守る事が生きる事です。

動物のように格闘家はライバルがいる事に生き甲斐すら感じるかも知れません。

しかし悟りとはライバルが居ない。敵が居ない状態が悟りです
才木広之
2021年10月01日 12:16
生きる事に対して、敵ではない、ライバルではない。

死ぬ事に対して、敵ではない、ライバルではない

生も死も、敵でもライバルでもない

これが悟りです
才木広之
2021年10月01日 12:19
いくら強靭な格闘家でも

津波には勝てません

津波に飲み込まれ流されてしまいます

しかし

生にも死にも執着がない人は

津波に負ける事がありません

これが悟りです
才木広之
2021年10月01日 12:23
生へも、死へも

執着がない格闘家かならば

相手に殺されても

負けてはいないのです
才木広之
2021年10月01日 12:25
生と死を乗り越えたなら

生にも、死にも

負けないんです

それが悟りです
才木広之
2021年10月01日 12:29
その者達は

普通に生きていて

最強の者なのです

生にも、死にも

負けないんだから

悟ったものは

殴られようが

倒されようが

殺されようが

最強です

普通に生きてて最強です

死にも、生にも

負けないのだから
2021年10月02日 09:16
離れて ある こと


殺されては ならぬ

殺さしめては ならぬ


自他 を

真 に

護る 

こと
才木広之
2021年10月04日 07:26
殺される心あるものが幸せでありますように

傷つけられる心あるものが幸せでありますように

殺される心あるもの

傷つけられる心あるもの

の心が平安で安寧で

安らぎに満ちて

幸せでありますように
才木広之
2021年10月04日 07:27
殺される心あるものが幸せでありますように

傷つけられる心あるものが幸せでありますように

殺される心あるもの

傷つけられる心あるもの

の心が平安で安寧で

安らぎに満ちて

幸せでありますように