石法如来の特別寄稿:私が出会った偉人たち。(その3)

人間は、何のために生きるのか?・・・ありふれた質問ですが、その答えの中にその人の全てが現れます。
人々の中には、今生きるのに精一杯の人もいることでしょう。中には、死にたくないから生きている・・・という人もいるかも知れません。何らかの目標・目的を持ち、人生に情熱を燃やして生きる姿はある意味尊く美しいものですが、中にはお金が欲しい・地位が欲しい・名誉が欲しいと、人間の欲望のままに生きている人間も数多く存在するのも事実です。
 
大体、政治家・実業家などと呼ばれる人間は概ね野心家が多いですから、当然そのような部類に入る人間達です。私は、記事の中で偉人として三名の人物を挙げましたが、本物はSRKWブッダだけです。
 
SRKWブッダは、本物の仏ですから職業を持つことが出来ず経済活動を行ないません。故に、余計なものを一切身に付けないで生きているのです。・・・この、基本事柄を守ることの至難さは他の人物を見ればよく理解出来ます。
 
空手家の大山倍達氏は、お金や名誉に関してそれ程頓着があった人物とは思いません。ただただ、自分の空手流派の普及・発展を願い行動する人物であったと考えますが、本人の死後(空手)団体相続の問題が持ち上がり、大きな内紛になり裁判沙汰ののち団体は分裂していくことになります。
 
分裂も、一つや二つでは無く(全世界では)数十団体にも分裂して行きました。・・・格闘技界というのは、仏教の教えでいう(六道の)修羅界ですから争いがあってある意味当然の世界です。
強さと、個性を持ち合わせた弟子達を束ねてきた功績の大きさは評価出来ますが、大山氏一代で築き上げた空手団体は一瞬のうちに瓦解・分解してしまいました。
 
組織が大きくなると、人も集まりお金も集まります。そうなると必然的に、次の地位を狙う存在が現れ大きな争いに発展することは予測可能だったはずです。
大山氏にその意図がなかったとしても、死後団体内に醜い相続争いを生起させ、一代で築き上げた空手団体を分裂・分解にみちびき結果的に晩節を汚すこととなりました。
 
阿含宗の桐山靖雄管長は、欲望の権化のような人物です。彼が、直接お金を集めなくても教団の集金システムは彼(と役員)が作り上げたものです。
私も、七年ほど教団に所属しそれなりの金額を教団に納めました。それは、私ばかりではなく古参会員ほど多額の資金を教団に差し出したはずです。
 
面白いもので、教団における所属年数の古さと納付した金額の大きさによって、教団内でそれなりのお役・立場が与えられるのです。私の思い違いでなければ、教団の中身とはその様に見えました。
教団内は、一から十までお金がかかるシステムが出来上がっているのです。
 
私が教団在籍中に、一番がっかりしたのは京都山科区花山(かざん)の総本山を建立した際に、管長ご夫妻の銅像を建てたという話を聞いた時です。
「死ぬまでに、私は必ずブッダになる」と言っていた人間が、何で夫婦の銅像なのか?。・・・乗っているのは高級車ベンツで、法衣も煌びやかに着飾り名誉称号まで授かる?・・・。私が、教団退会を決意した理由にもなった事実です。
 
彼は、宗教家を語る実業家でした。ですから、全ては自分自身の事業拡張のために行っていたことです。それを、「因縁解脱できる。」というキャッチフレーズのもと修業を重ねたとしても、どこまで行っても目的達成など不可能です。・・・根本が、間違っているからです。
 
作られたものは空(無常であり苦であり無我)であり、やがて失われて行くものです。SRKWブッダ以外の2名の偉人(?)は、死後組織をちりぢりに分裂・分解させ世界の武道家達を迷わせた者。あるいは達成出来もしない(成仏という)目標を自分の私利私欲のために利用し、衆生をどこまでも迷路に誘い込んだ者・・・達(たち)です。
 
SRKWブッダの真に偉大なところは、近年において覚りを得た第一人者であると言うこと。最初に「覚り」に到達したという事実に、言葉を超えた真の価値と意味があります。
次に、「仏として生きている」と言うこと。仏には自然に出来ることですが、衆生にその生き方は真似が出来ません。
 
本物は、世間の雑踏を気にせず社会の対応変化の中で静かに生きているのです。

(おわり)


*法津如来のコメント

「石法如来の特別寄稿:私が出会った偉人たち。」は今回で終わります。

正直、私もなぜ空手家の大山倍達氏や阿含宗の桐山靖雄管長が出てきましたので驚きまいた。
この結論で納得いきました。
石法如来ありがとうございました。

次回は「「道の人」(本物)の見分け方」を投稿していただけるそうです。
よろしくお願いいたします。