石法如来の特別寄稿:念彼観音力(ねんぴかんのんりき)

35年ぶりに、懐かしい言葉に出会ったので書いてみます。表題の、「念彼観音力」(ねんぴかんのんりき)とは、『観音経』(法華経観世音菩薩普門品・ほけきょうかんぜおんぼさつふもんぼん)の中に出てくる言葉です。
懐かしいとは、10月28日掲載(「自称「法津(のりつ)如来」のブログ」)の記事に、読者であるhalさまがコメントで『観音経』を紹介してくれて、久しぶりにその経典名に触れたということです。
 
私と観音経の出会いは、阿含宗時代に遡ります。28歳から35歳まで、足かけ7年間阿含宗で修業?させて頂いたのですが、その時読誦していた経典が般若心経(はんにゃしんぎょう)と妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五偈(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぼんだいにじゅうごげげ)でした。その他に、真言などを唱えていたのですがここでは省略します。
 
当時の阿含宗では、因縁解脱の修業法として「千座行(せんざぎょう)」なるものを教えておりました。千日間、休まず行(修業)を続けるならば因縁が切れる・・・という触れ込みです。
これは、絶対やらなければ損だとばかりに私自身挑戦することにしたのです。
 
千日間、一日も切らさずに行(ぎょう)を続けるとしたら二年九ヶ月の間頑張らなければいけません。長期出張とか、どうしても行が出来ない時には「代行(だいぎょう)」というものがあり、本部道場に届けると代わりに行をしてくれるという仕組みになっていました。
 
私の場合、仕事柄出張(野外演習)が多いので代行を依頼できるのですが、なるべく自分で行をしたいので時間短縮のために経典を丸暗記して臨んでいました。
普通、ゆっくり行うと35分前後かかる行を15分位で終わらせます。一人で、孤独な時間を作れる人間は周囲を気にしないで行を実践出来ますが、私の場合常に周りに人間がいるので、一人になる時間を作るのがとても難しかったことを覚えています。
 
そこで考えたのは、トイレの中で座を開き行じるというものです。座を開くとは、(携帯可能な)本尊である「ご宝塔(ほうとう)」を安置するということで、その後に(その場で)一連の所作に基づき経典・真言の読誦を行うという訳です。
トイレに入ってから出るまで、約十五分ほどで定められた行(ぎょう)を淡々とおこないます。あまり長くトイレに止まると、不審に思われますから「一心に素早く行法を進め」るのです。
 
結局、七年間で二千日超の修業を完遂しましたが、因縁解脱したという感覚はまるでありませんでした。ただ、教団に止まっている限り「1000日、あるいは2000日達成した」という証に、袈裟に印(しる)しが付くので一目瞭然でした。・・・ある意味、自己満足の世界です。
 
そこで「念彼観音力」の『観音経』ですが、この経典を管長である桐山靖雄氏が採用したのは、事業に失敗し柱に紐をくくり首を吊ろうとした「その時」観音経を見つけ自殺を思いとどまった、という風の因縁を語っていたことを思い出します。
 
それ程までに、功徳のある経典なので会員諸君にも勧めるのです。・・・みたいな話を、何度も聞いた覚えがあります。
観世音菩薩が、「私たちが人生で遭遇するあらゆる苦難に際し、観世音菩薩の偉大なる慈悲の力を信じ、その名前を唱えれば、必ずや観音がその音を聞いて救ってくれる」と・・・。
 
信じる者は救われる。・・・私の場合は、一心に信じる気持ちが足りなかったので、結局その教団を離れる事となりました。
最もものは考えようで、その教団を離れたが故に私は自分自身の目的を、最終的に達成することが出来たのだと言うことも出来ます。
 
もしかして、観音経を一心に読誦した功徳?を一番得ることが出来たのは、私自身だったのかも知れません。
全く、人生何が幸いするか分かりません。・・・そう考えたら、目先の目標を疎かに処してはいけないと言うことになります。


*法津如来のコメント

最後の「全く、人生何が幸いするか分かりません。・・・そう考えたら、目先の目標を疎かに処してはいけないと言うことになります。」は重要です。その通りです。