「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」の続き

「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」を読んで、日本語と英語等との違いを短く説明するのは難しいのですが、この本では「『する英語』と『ある日本語」』」という節はその理解の助けになります。

英語の文は動作で構成されていて、日本語は状況を表現しているということです。

例えば、「私があなたが好きです」という文は、英語では「私は 好き あなたを」ですが、日本語では「好き です」となるということです。

(以下、この本の204ページからの引用)

実はそれこそがこの章でお話ししたい「日本語の世界平和への寄与」の意味なのです。

ここでまたまた私の思い出話ですが、2007年の夏に、久しぶりに訪れた広島で私は「世界平和への思い」を強くしました。

具体的には、平和公園の中の慰霊碑の碑銘「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませんから」を見た瞬間です。

以前から、この二つ目の文を巡って「一体、過ちを繰り返さないと誓っているのは誰なのか」という問題が起きたことは知っていましたが、その日、広島に身をおいて、ふと私には、「誰の過ちか」が明らかにならない方がかえって日本語らしくていい、と思えたのでした。

つまり、本書で注目してきた「わたし」と「あなた」の共存が、ここでは「敵」と「味方」の共存という形をとっているということに思いついたのです。

そう考えれば、敵はいつまでも敵ではなくなります。

国境を越えて、広く地球という一つの星の上に共存する人類というところまで連帯の和を広げてゆくなら、戦争という異常な状況に敵もまた当事者、そして被害者として巻き込まれていたと考えられるからです。

確かに戦争では、ほんのひと握りの人たちを除いて、敵も味方もほぼ全員が犠牲者と言えるのです。「正しい戦争」などというものはありません。

(以上引用)

私も、2019年8月6日、広島市の平和公園の慰霊碑の碑銘「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませんから」を見て、すこし違和感を感じましたが、今はこの通りだと思います。
https://76263383.at.webry.info/201908/article_6.html