石法如来の特別寄稿:「真珠湾攻撃」追記・・・世界の歴史が変えられた日

昭和16年(1941年)12月8日、大日本帝国海軍はハワイ真珠湾に奇襲攻撃をかけて太平洋戦争(日本側で言う「大東亜戦争」)が勃発しました。
 
しかし、その作戦は昭和十六年十一月十五日大本営政府連絡会議にて、大日本帝国の戦争戦略、国家戦略として正式決定されたものではありませんでした。
正式に決定された事項は、秋丸機関の提出した資料により作成された「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」を基礎に作成された作戦計画です。
 
それはすなわち、(日本から見て)ビルマ・シンガポール・東インド・フィリピンなどに南進し自存自衛のための(石油など)資源を獲得し、更にそこから西進しインド・インド洋を目指しドイツ軍と連携して英国を屈服させると言うものでした。
私自身戦史を学び、なぜ日本軍は一方(海軍)はハワイ、もう一方(陸軍)は南進し東南アジアにと二手(ふたて)に別れ、戦力を集中しないで戦ったのか疑問を抱いておりました。
 
アメリカほどの巨大な経済力があり、潜在的な軍事力が備わっていれば「それも可能」ですが、資源の無い日本が「なぜ?、その様な作戦を行った」のか、不思議でたまらなかったのです。
それでも、大きな戦果を上げたから「それはそれで良し」と判断を停止させるのも有りかと考えましたが、林 千勝氏の著書『日米開戦 陸軍の勝算』を読みその疑問が全て解けました。     
 
アメリカに対しては、最初から「あらゆる手段を尽くして適時米海軍主力を誘致し、これを撃滅するに勉(つと)む」というのがその作戦で、場所は日本の南東に位置するマリアナ諸島付近を想定していたようです。
その位置で、何年でもアメリカ海軍主力の進出を待ち誘い込んで一気に撃滅する作戦であり、日本に十分勝算のあるものでした。
 
真珠湾奇襲攻撃は、米内光政(よないみつまさ)・永野修身(ながのおさみ)・山本五十六のラインで考案され実行に移され、最初は大成功を収めますが、それに止まることなく更にミッドウェーにまで進出・海戦を行い、二度と立ち上がれないほどの大敗を喫すこととなります。
 
半藤一利氏の『日本の一番長い日』を読んだときに、終戦時の陸軍大臣であった阿南惟幾(あなみこれちか)が、「米内を切れ!」と部下に言ったと書いてありましたが、当時私はこの意味が全く分かりませんでした。しかし今なら、米内光政が米国のロックフェラー財閥と繋がっており、その手先として働いことを阿南陸相は知っていて、「売〇奴米内を切れ!」という意味だったのだと理解出来ます。
 
真珠湾攻撃前、山本五十六連合艦隊司令長官が当初の計画通り、南進し更に西進のコースを取っていたなら、滅亡していたのは大日本帝国ではなく大英帝国(イギリス)だった筈です。
そうなっていたら、現代世界の勢力図も大きく変わったものになっていたことでしょう。
 
仮にそうであるなら、(日本は)アメリカの属国同然となり国家主権不在状態に置かれることも無かったし、(戦後日本人が)汗水垂らして蓄えた莫大な国富をアメリカに吸い取られると言うことも無く、(日本は)平和で豊かな国となり国民は穏やかに暮らしていた可能性を否定出来ません。
 
歴史を学ぶと、あのドイツと言えどアメリカとは戦果を交えず、整斉と作戦を遂行する筈だったようです。・・・「ヒトラーはアメリカとの戦争を避けるべく、ルーズベルトやルーズベルト指揮下のアメリカ海軍からいかなる挑発に対しても、我慢に我慢を重ねて忍び難きを忍んでいたことが明らかだったからです。」(以上、林千勝著『日米戦争を策謀したのは誰だ!』67頁引用)
 
私も、以前は深くは知りませんでしたが、ドイツのヒトラーが手の付けられない独裁者であったというのは戦後の連合国側のプロパガンダ(意図をもって、特定の主義や思想に誘導する宣伝戦略のこと。)のようです。(この項、馬淵睦夫著『ディープステート』第2章を参考)
 
アメリカのルーズベルト政権は、自分の周囲を共産主義者で固めソビエトや中国共産党を支援し、結果的に日本・ドイツ・イタリアを打ち負かし戦勝国となりました。
第2次世界大戦後、ソビエト・中華人民共和国(中国共産党)の存在が、いかに世界を不安定なものにしたかは歴史を見るとおりです。
 
戦後(第2次世界大戦後)、米国を覇権とする世界は朝鮮動乱(1950年)・ベトナム戦争(1965年)・イラク戦争(2003年)と、戦火が絶えることなく続きました。
もしも、日本が戦勝国となり現在と違う世界秩序が形成されていたなら、日本人の高い精神性で世界を取り纏め、この世に「楽土(心配や苦労がなく楽しい生活ができる土地)が形成されていたはず」というのは言い過ぎでしょうか。
 
参考動画
https://www.youtube.com/watch?v=vta54rxSdk4
【Ch桜大学】亡国の真珠湾攻撃が行われるまで-12.24特別講座-
https://www.youtube.com/watch?v=jIDknVgLJgo&list=PLKeSkVQhqoOpIiG4OUbwU31wMtTWdGkKZ
真珠湾攻撃78年目の真実 ~日米ソの壮絶スパイ戦争【シリーズ終戦特集①】


*法津如来のコメント

歴史には、「もし」という言葉はつかえません。

歴史に対する評価は、人により異なります。

仏教では、「世間虚仮」といいます。「一切皆空」です。

ですから、私は「成ったことはそれで良かった」という考え方です。

 

年末年始の集合無意識

改めて書くまでもなく、今日は2012年(令和3年)12月30日です。

今年は今日を含めて2日です。

その次の日からは2022年(令和4年)1月1日です。

何が変わるのだろうか?

動物や植物はこの変化を、どのように感じているのだろうか?

以前私は、大晦日から元旦への変化と言っても、何も変わらないのではないか、

特別なことはないと考えていました。

しかし、今は違います。

人間の集合無意識が、大きく変わるのを感じます。

世界中の人々が、もうすぐこの年が終わり、新しい年を迎えるのだと考えているのです。

(厳密には民族や地域によって、この時期が少しずれているところがあります。)

しかも、これは今に始まったことではなく、何千年も前から始まっていることなのです。

個人の表面的な意識にはいろいろな違いがありますが、

人々の集合無意識には年末年始という特別な意識があります。

人々は今年はいろいろ苦しかった。来年はどうなるだろうと不安に思っているのでしょう。

特に、今年はコロナの新種が増えて、デルタ株からオミクロン株まで現れました。

オミクロン株は、インフレエンザ化していると考えらるのですが、

その恐怖を煽るマスコミがあります。

如来は、人類の集合無意識から離れていますから、

人々には苦しく見えることも面白く思えます。なるほどこのようになっているのだと観るのです。

また、それらもなんとかなる確信しています。

そして、なんとかなるのです。

ですから、来年もいろいろあるでしょうが、なんとかなると確信しているのです。

最後に余談を一つ。

西暦と令和の変換方法は、西暦の下二桁を足し算すると、令和の年になります。

西暦2022年は、2+2=4ですから、令和4年というわけです。

みなさま、良いお年をお迎えになりますように!


石法如来の特別寄稿:開戦80年・・・真珠湾攻撃とは何だったのか。(その4)

結論から申しますと、大東亜戦争(一般的には、太平洋戦争と称される。)の戦略骨子である「腹案」の基軸を成す西進戦略をぶち壊したのは山本五十六連合艦隊司令長官なのです。
山本五十六連合艦隊司令長官の、大局観のない読みの甘い発想が、結局アメリカの軍事供給力は想定を越え、短期間のうちに高度に発揮させることに繋がりました。
 
戦争など「やる気のないアメリカ人」を、真珠湾奇襲攻撃という「だまし討ち」により、強烈な復讐心がたぎるよう「寝た子を、叩き起こして」しまったのです。
 
「陸軍省戦争経済研究班」等による、緻密な彼我の分析に基づいて作成された「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」では、アメリカと正面から戦争することなど考えていませんでした。
それは、アメリカの国民感情を計算に入れての判断です。日本の考えていた主戦場は、太平洋上ではなく南下した東南アジアであり、西進したインド・インド洋でした。
 
アメリカの息のかかったフィリピンを、日本軍が仮に占領したとしてもアメリカが出てきたら返還しても良いとさえ考えていたようです。
要は、アメリカと正面切って戦わないという戦略であり、天皇陛下もそれを了解していたと言います。
 
山本五十六連合艦隊司令長官は、真珠湾攻撃前「アメリカに、開戦と共に立ち上がれない位のダメージを与えたら戦意喪失するはずだ」位に考えていたようです。
しかし現実には、真逆の結果を招くこととなりました。士気が低下し、戦意喪失するどころか「米国民の戦意を猛烈に昂揚」させたのです。
 
開戦とともに、戦争準備を劇的にスピードアップさせ、米国が猛烈な勢いで供給力(経済抗戦力)を最大化することを可能としたのです。・・・恨み・怒りのパワー全開で・・・。
 
山本五十六連合艦隊司令長官は、自らの首をかけて真珠湾奇襲攻撃を断行(だんこう・悪条件や反対などを押し切って実行すること。)させました。
彼の暴走により、折角研究に研究を重ねて編み出した「負けない戦(いくさ)」である筈の大東亜戦争を「ぶち壊して」しまったのです。これが、歴史的な真実(事実)です。
 
私も昔、真珠湾奇襲攻撃の話を聞いた時、「よく、敵に察知されないで目的地に辿り着いたものだ?」と疑問に思ったものですが、何のことはない「敵に、全て筒抜け」で泳がされていただけの話です。
日本は、真珠湾を「奇襲した」つもりでしたが、残念ながらルーズベルト大統領は日本の計画を先刻承知で、あえて旧式戦艦などを無防備で真珠湾に停泊させ、日本軍の奇襲を待っていた、とする説が現在では有力なようです。
 
ルーズベルト大統領は、口では「戦争不参加の公約を掲げ、圧倒的な支持」を受けていたのです。しかし裏では、この公約を百八十度翻して、日本やドイツと開戦するための口実を「今か今か」と待ち望んでいたようです。
 
アメリカ人は、銃で背中などを撃たれたら「卑怯者」ということで大変厳しい反撃を行うそうです。ですから、西部劇など見てもヒーローは「自分から、決して先に銃を抜く」ことをしません。
日本人は、奇襲攻撃という汚い手を使って来たというのは、ルーズベルトにしたら絶好の攻撃(反撃)チャンス・理由になったのです。そこで彼は、「リメンバー・パールハーバー」というキャッチフレーズまで作り、日本人を憎悪の対象と煽りました。
 
結局、300万人以上の日本人が死に、多くの家屋が焼かれ、人類初の原子爆弾まで投下され、国土は焦土と化し大日本帝国は滅亡したのです。
大東亜戦争で命を落とした多くの日本人のため、緒戦である「真珠湾攻撃の真実」を知り語り継ぐことこそが、彼等(彼女等)に対する何よりの供養となるのです。
(おわり)
 
参考動画
https://www.youtube.com/watch?v=wHj11PxMOo0
【林千勝先生⑮】英霊のために真実を知ろう!~完結編~


*法津如来のコメント

石法如来の特別寄稿「開戦80年・・・真珠湾攻撃とは何だったのか。」シリーズは今回で終わりますが、

「追記」を寄稿していただけるとのことですので、12月31日に掲載する予定です。お楽しみに。


2021年のブログを振り返る(後半)

7月1日は、石法如来の特別寄稿: (十二支)縁起の考察(その5)
https://76263383.at.webry.info/202107/article_1.html

7月2日は、「おはようございます。」が表題でしたが、ラジオ体操がテーマです。
https://76263383.at.webry.info/202107/article_2.html

8月1日は、幸せな人生を送るための鍵
https://76263383.at.webry.info/202108/article_1.html

8月4日は、石法如来の特別寄稿:「親子の因縁」について。
https://76263383.at.webry.info/202108/article_4.html

9月1日は、「身体は真実を知っている」の真意
https://76263383.at.webry.info/202109/article_1.html

9月2日は、石法如来の特別寄稿:コロナこれから・・・。(その4)
https://76263383.at.webry.info/202109/article_2.html

10月1日は、なぜ、武道家は覚らなければ強くなれないと覚るのか?
https://76263383.at.webry.info/202110/article_1.html

10月2日は、石法如来の特別寄稿:私が出会った偉人たち。(その2)
https://76263383.at.webry.info/202110/article_2.html

11月1日は、木内昇氏の東京新聞の連続小説「かたばみ」の中から
https://76263383.at.webry.info/202111/article_1.html

11月3日は、石法如来の特別寄稿:念彼観音力(ねんぴかんのんりき)
https://76263383.at.webry.info/202111/article_3.html

12月1日は、「神様が見える子供たち」の解釈
https://76263383.at.webry.info/202112/article_1.html

12月2日は、石法如来の特別寄稿:大学通信教育(その4)
https://76263383.at.webry.info/202112/article_2.html


全部を見直すことはできませんので、各月の始め私の記事と石法如来の特別寄稿をピックアップして見ました。

このリストの中で、9月1日の記事に「才木如来」からのコメントがありました。
これ以前には彼は法津如来に対して批判的なコメントでしたが、この時からはそれがガラリと変わりました。
これは非常にありがたいことでした。
最近は、「才木広之」という名前で毎日コメントくださっています。ありがとうございます。
現在は雪深い青森県にお住まいのようで、くれぐれもお身体を大切になさってください。

そういえば、石法如来は北海道釧路にお住まいでした。
厳しい寒さの中、この一年間特別寄稿誠にありがとうございます。
今後もよろしくお願いいたします。


2021年のブログを振り返る

2021年のブログを振り返る

新聞をみると、2021年を振り返ると出ていました。

そこで、このブログの今年を振り返ることにしました。

1月1日は、SRKWブッダ著「仏道の真実++」【覚りの予兆】(1)
https://76263383.at.webry.info/202101/article_1.html

1月10日は、石法如来の特別寄稿 「一期一会(いちごいちえ)」
https://76263383.at.webry.info/202101/index.html

2月1日は、SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その2)】(9)
https://76263383.at.webry.info/202102/article_1.html

2月2日は、石法如来の特別寄稿 「私の大団円(だいだんえん)」
https://76263383.at.webry.info/202102/article_3.html

3月1日は、「相談依頼人との対談、その後」
https://76263383.at.webry.info/202103/article_1.html

3月3日は、石法如来の特別寄稿「真実はどこに?(その8)・・・国家の行く末と明治維新」
https://76263383.at.webry.info/202103/article_3.html

4月1日は、「無分別智(その21)」
https://76263383.at.webry.info/202104/article_1.html

4月2日は、石法如来の特別寄稿「富永仲基について。(その5)」
https://76263383.at.webry.info/202104/article_3.html

5月1日は、金剛般若経について
https://76263383.at.webry.info/202105/article_1.html

5月4日は、石法如来の特別寄稿:「輪廻」という幻(イメージ)その1
https://76263383.at.webry.info/202105/article_5.html

6月1日は、どうしたらよいか?
https://76263383.at.webry.info/202106/article_1.html

6月2日は、石法如来の特別寄稿:「穏やかな死」と医療問題(その4)
https://76263383.at.webry.info/202106/article_2.html


以上、今年の前半です。後半は明日掲載します。

結構いろいろ書いていました。
石法如来にはたくさんの寄稿を頂きましてありがとうございます。

みなさまも、自分の一年を振り返ってみるとよいでしょう。
自分の行動のパターンや考え方のパターンが見えてくるものです。
そこに問題があれば、そこを改善することです。

石法如来の特別寄稿:開戦80年・・・真珠湾攻撃とは何だったのか。(その3)

「陸軍省戦争経済研究班」は、「わが国の場合は、短い持久時間で最大軍事供給力、すなわち最大抗戦力を主として英国に対して集中発揮すべき」としました。
 
それによって英米といったん講和に持ち込み、次の戦に備えて、自給自足可能で生産力を増強しうる広域経済圏の充実・発展を図るとしたのです。
 
「陸軍省戦争経済研究班」は、科学的・論理的に考察し昭和十六年七月、杉山参謀長ら陸軍首脳部へ最終報告をします。(以下引用)
「欧米合作の本格的な戦争準備には一年余かかり、一方、日本は開戦後二カ年は貯備戦力と総動員にて国力を高め抗戦可能。
 
この間、輸入依存率が高く経済的に脆弱な英国を、インド洋(及び大西洋(ドイツが担当)における制海権の獲得、海上輸送遮断やアジア植民地攻撃によりまず屈服させ、それにより米国の継戦意思を失わせしめて戦争終結を図る。
 
同時に、生産力確保のため、現在英、蘭等の植民地になっている南方圏(東南アジア)を自給自足圏として取り込み維持すべし」というものです。
正に時間との戦いであり、日本は脇目を振らずに南方圏そしてインド洋やインドを押さえるべしです。これに対して、杉山参謀総長は「調査・推論方法は概ね完璧」と総称しています。」(以上、同本125頁・引用終わり)
 
この分析が、後に「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」となり、昭和十六年十一月十五日大本営政府連絡会議にて、大日本帝国の戦争戦略、国家戦略として正式決定されることとなります。
 
ここで言う「腹案(ふくあん)」とは、「あらかじめ心の中に持っている考えや計画」を意味します。上記分析資料から導かれた「腹案」のどこに、アメリカに攻撃を仕掛け真珠湾を攻撃するると書いてあるでしょうか?
当時のアメリカは、ルーズベルト政権であり彼は大統領選挙時、表面的には「戦争は絶対にしない」と公約して当選した人物です。
 
当然アメリカ人も、戦争しようという気持ちなど全く持っておりませんでした。しかし、ルーズベルトは本心では既に始まっていたヨーロッパ戦線にアメリカ軍を送ろうと考えていたのです。その為のチャンスを秘かに伺っていたという状況でした。
 
大ざっぱに、「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」を分析すれば、日本軍は南進して東南アジアを自給自足圏として物資(石油など)を調達し、次いで西進しインド・インド洋を抑え英国をドイツと共に屈服させる。アメリカは、国民感情もあり戦争に積極的に参加してこないだろう。」と考えていたという事になります。
 
上記腹案に、「真珠湾奇襲攻撃」など一切出てきておりません。・・・あえて、アメリカを怒らすような手段を取ることなど一つも考えていなかったのです。
元々、日本の戦争は「自衛のための戦争」なのですから、真っ先に「敵をたたく必要などない」のです。・・・でも歴史を遡ると、事実はまるで違います。なぜ日本軍は、真珠湾に対して奇襲攻撃をかけることになったのでしょう?
 
そこに登場するのが、山本五十六(やまもといそろく)という人物です。かれは、連合艦隊司令長官として、早くから空母機動部隊による奇襲攻撃の有効性に着目して真珠湾攻撃を成功させる一方、アメリカの力を正確に把握していた開明的な海軍将校であったという像が、多くの人々に受け入れられています。
 
そして、山本五十六連合艦隊司令長官の戦死が日本の戦争遂行に大きな打撃を与えた、というのが一般的に語られていることです。
無謀で不合理な陸軍に対して、先進的で合理的な海軍というイメージがあり、その代表格が山本五十六連合艦隊司令長官という訳です。
 
参考動画
https://www.youtube.com/watch?v=tHGwkfoGmjA
【林千勝先生⑭】英霊のために真実を知ろう!~真珠湾後に戦略バトル勃発~


*法津如来のコメント

NHK総合TVで、今月30日(木)午後10時から、太平洋戦争80年・特集ドラマ「倫敦ノ山本五十六」が放映されるそうですが、この記事と異なる印象の山本五十六が放映されるでしょう。

中島武志著「足・腰・ひざの痛みが消えるゆるかかと歩き」より

(以下引用)

こんなお悩み、ありませんか?


「外反母趾が痛い」

「歩くとなぜか腰が痛くなる」

「足の横幅が広くて合う靴がない」

「0脚を治したい」

「歩くとひざが痛い」

「肩こりがひどい」

「姿勢が悪い」

「足が疲れやすくて 長時間あるくことができない」


これらの悩みを

改善する歩き方があります。

「歩き方で治るはずがない」と

思われるでしょう。

にわかには信じられない

かもしれませんが、

そんな歩き方が、実際にあるのです。

本書で紹介する

「ゆるかかと歩き」は

足はもちろん、体の様々な悩みを

解決に導きます。

なぜならなら、「ゆるかかと歩き」は


人体の体の構造上、

理にかなった最も

自然な歩き方だからです。


モルディブでの砂浜生活からヒントを得た、

「ゆるかかと歩き」を

マスターすれば、


足や腰やひざの痛みとも、

治らないとあきらめていた

外反母趾とも、

幅広の足とも、

O脚とも、

長時間歩けないこととも、

さよならできます!


(以上引用)


*法津如来のコメント

具体的な「ゆるかかと歩き」の方法は、次の動画でわかります。

ゆるかかと歩きレッスン⑫ゆるかかと歩き レッスン総まとめ
https://www.youtube.com/watch?v=l_3SHCCaz-M

その他にも、中島武志氏の動画がいろいろありますから、検索してください。


歩き方を変えれば人生が変わるか?

しばらく、カタカムナの話をしていたのに、またなぜ「歩き方」と思われる方も多いと思います。

しかし、世の中には膝が痛い、腰が痛いという結構おられるのです。

そればかりではなく、かなりの方が体のいろいろな部位に痛みを抱えているおられます。

身体に痛みがあると、心を穏やかに、人に優しくしようと思っても、

その余裕がなかなか持てないものです。

如来としては、身体の痛みよりは心の痛みをなんとかせねばと思っているのですが、

ユーチューブの案内一覧の中に、

「ゆるかかと歩きレッスン① 始める前に知っておくべき3つの注意点」
https://www.youtube.com/watch?v=dxO-iU7CtPM

という動画の紹介がありました。

その内容を拝見すると、なかなか面白い。

足、腰、膝、肩などの痛みは、正しい歩き方をしてないからであるということです。

ここで正しいとは、自然な歩き方ということですが、それは身体の構造にあった歩き方をしてないということです。

このことは、心に痛みのある方は、心の正しい使いかたをしてないことに通じます。

また面白いことに、動画を見てみると、正しい歩き方をできないのは、自分の歩き方に気づいていないということがあります。

これは、心についても言えることで、自分の心の状態に気づいていないことがあります。

歩き方を改善することは、歩き方の癖をなおす必要がありますが、

それは全く、心の癖をなおすことと同じです。

心の癖を自覚するのは、身体の癖を自覚する以上に難しいですが、身体の癖を自覚する過程で知ることができる場合もあるでしょう。

例えば、いつも前のめり姿勢で歩く方は、いつも何かに追われて、焦っているのかしれません。

もっと落ち着いていても問題ないと思えれば、かかと重心で歩けるのでしょう。

この動画では「ゆるかかと歩き」を提唱しているのですが、かかとをガシガシと踏みつける歩き方ではなく、ゆったりとかかとから下ろす歩き方です。

動画作成者の著書は次の通りです。

中島武志著「足・腰・ひざの痛みが消える ゆるかかと歩き」(あさ出版)定価本体1200円+税


石法如来の特別寄稿:開戦80年・・・真珠湾攻撃とは何だったのか。(その2)

 開戦80年・・・真珠湾攻撃とは何だったのか。(その2)
 
当時の日本人が、世界情勢を正しく把握していたなら、あの大国アメリカと戦争しようなどと言う気持ちを持つはずがないと誰もが考える筈です。
その考えは、全く間違いではなく当時の軍人含め日本人全体、あるいはアメリカ国民すら戦争しようなどと考えてはいなかったというのが真実のようです。
 
では、何故あの様な大きな規模の戦争が起きたのか?・・・当然、そこには「それを策謀した人間」がいるという事です。それも、日米双方に・・・。
その存在については、簡単に語ることが出来ないのでここでは日本側が、「もしアメリカと戦争するようになったらどうする?」という点について、どの様に対応しかについて書きます。
 
林 千勝氏の著書『日米開戦 陸軍の勝算』を読みますと、第一次世界大戦以後「もはや戦争は経済と一体であり総力戦になる」ことは分かっていました。
日本(帝国陸軍)は、「生きるか死ぬか」の決断のために、緻密な経済計画に基づく判断、合理性の透徹を追求しました。故に、科学的な研究に基づく、合理的な戦争戦略準備を急いだのです。
 
攻防の策を講じるために、何を行ったのでしょうか?(以下、林氏の『日米開戦 陸軍の勝算』引用)
「大日本帝国陸軍は、昭和十四年秋、我が国の最高頭脳を集めた本格的なシンクタンク「陸軍省戦争経済研究班」をスタートさせました。わが国に経済力がないことを前提として、対英米の総力戦に向けての打開策を研究するためです。開戦のおよそ二年前のことです。」(以上、同書20頁)                                              
実際の、「陸軍省戦争経済研究班」は昭和十五年一月に設立されています。「陸軍省戦争経済研究班」の設立を企画した中心人物は、岩畔豪雄(いわくろひでお)という人物で、あの有名な中野学校を創設した、わが国きっての戦略家でした。
 
「陸軍省戦争経済研究班」は、別名「秋丸(あきまる)機関」とも呼ばれていました。その理由は、岩畔大佐の意を受けた秋丸次朗(じろう)中佐が班を率いたからです。
この秋丸中佐は、昭和七年陸軍経理学校をトップの成績で卒業し、陸軍が創設した派遣学生制度を利用して東京大学経済学部において三年間学んだ秀才です。
 
「陸軍省戦争経済研究班」に赴任した秋丸中佐は、岩畔大佐から「将来、英米を向こうに廻して大戦に突入する危惧が大である。・・・しかし、経済戦において何の施策もない。経理局を中心として、経済戦の調査研究に着手して欲しい。」と命じられます。
 
調査を進めると、彼我の国力判断の結論は悲惨そのものです。ここでは、対米英長期戦がとうてい不可能であることを十二分に説明していました。
その様な情勢下、「陸軍省戦争経済研究班」は対米英総力戦に向けて「打開策」の研究をしなければなりませんでした。そのため、わが国の最高頭脳を集め始めたのです。
 
秋丸中佐は、「陸軍省戦争経済研究班」の組織の中で最も重要な位置づけとなる英米班に、マルクス経済学者で東京大学経済学部助教授の有沢広巳(ありさわひろみ)をチーフリーダーに招きました。有沢は、単に概念をもてあそぶ類いのマルクス経済学者ではなく、統計を駆使して数字での実証を非常に重視する人物でした。更に、近代経済学に造詣が深く国際経済や世界経済にも通じていたのです。
 
帝国陸軍は、自らが国を守るために存在するという組織であることに、透徹した自覚を持っていました。秋丸中佐は、個別調査のために大学教授、企画院、外務省、文部省、鉄道省等の官僚に加え、三菱商事、日本郵船などの民間企業、日本鉄鋼連合会・電機協会などの業界団体、横浜正金銀行、勧業銀行などの金融機関、満鉄調査部を始めとする民間調査機関・研究所、同盟調査部などの精鋭達を「陸軍省戦争経済研究班」に集合させたのです。
 
「陸軍省戦争経済研究班」は、参集した経済学者たちの研究を通して、欧米によるアジア植民地支配の実態や、英米やソ連を操る国際金融資本及び国際石油資本の力などについても、十分な情報と知見を得ていました。
 
そして、膨大な収集情報を整理・分析し、約二百五十種の報告書を作成し、日本の進むべき進路に重要・重大なる情報をもたらしたのです。
 
参考動画
https://www.youtube.com/watch?v=0ukWnXhipO8
【林千勝先生⑬】英霊のために真実を知ろう!真珠湾攻撃の真相


今日は冬至です。

東京新聞の、今日は何の日に「はんぺんの日」とありました。内容は次の通りです。

「気が陰から陽へと移る一陽来福(いちようらいふく)の冬至に、「ん」の字が二つ入った食材を「運」を倍ににと、東京都蒲鉾水産加工協同組合が制定しました。」

ちょっとした豆知識です。

さて、昨日は昔の信者さんから近所のレストランでお食事のお布施を受けました。

その後、阿佐ヶ谷から善福寺川にそって善福寺公園まで、約2万歩ほど歩きながらいろいろお話ししました。

お布施といえば、相手に与えるように思えますが、実は相手から受け取るものの方が大きいのです。

そのような話もしました。

お布施をした時の気持ちは何にも変えがたいものがあります。

それはお布施をすればわかるものです。

お布施をしょうと思ったときの気持ち、

お布施をしているときの気持ち、

また、お布施をした後の気持ち、とその気持ちは長続きします。

ケチで欲張りで自分のものを抱え込んで、

他人に自分のものを与えたことのない人には決してわからない気持ちです。

その方は、最近のこのブログを読んでくださっているようで、カタカムナの話もしました。

カタカムナの勉強を相似象学ということについて話しました。

天然の理、自然の理など宇宙のすべてのものは相似であること、フラクタルであること。

これは空間的でばかりでなく、時間的にも相似なのです。

これを「歴史は繰り返す」といいます。

生物の発生に関しては「個体発生は系統発生を繰り返す」と言われています。

すこし難しくなりましたので、今日はここまでです。

「相似象学会誌」創刊号の「はじめに」(その8)

「相似象学会誌」とは、カタカムナ文献を発見し、解読した楢崎皐月(ならざきこうげつ)氏とその後継者である宇野多美恵女史が世に残した26冊(未完)の書であります。その創刊号の始めの言葉を、ブログ「潜象物理研究相似象学」から引用させていただきます。その際、原文にない節の番号をつけました。本日は(その8)です。
https://su5.blog.jp/archives/14154564.html


(以下引用)

(8)人間が、自分の力によって獲得したと思って居た智識は実は天の知の一かけらに過ぎず、自らの固有の心と信じて居たものは天のココロの反映であった。

人間の側からだけの狭い視野を離れて「天然」のスケールによってもの事を勘考察して行くところに相似象学の所以がある。

人間は自然を犯す事もまたはコントロールする事も出来るであらうが、天然を犯すことなど決してあり得ないものである事を知り天然のことわりにかなふスベを知り、

私達の祖先の上古代の人々のココロと相似のココロに少しでも近づきたいとの祈念によって、私達の相似象学は発生した。

(以上引用)


*法津如来のコメント

「人間が、自分の力によって獲得したと思って居た智識は実は天の知の一かけらに過ぎず、自らの固有の心と信じて居たものは天のココロの反映であった。」とは、その通りで、このことを知れば人間は謙虚になり、真実に近づくことができます。

ですから、人間の側からものを見るのではなく、天然からの立場から見るように心がけるべきでしょう。

人間は自然を破壊しコントロールとしようとしますが、天然の摂理を犯すことはできません。

楢崎皐月氏らは、私達の祖先の上古代の人々(カタカムナ人)のココロと相似のココロに少しでも近づきたいとの祈念によって、相似象学は発生したと宣言したのです。

今回で、「相似象学会誌」創刊号の「はじめに」の解説は終わります。


石法如来の特別寄稿:開戦80年・・・真珠湾攻撃とは何だったのか。(その1)

季節柄、新聞には「開戦80年真珠湾攻撃」に関する記事が多く目につきます。日本人にとって、先の大戦は忘れたくても忘れようがない位大きなものです。
記事を書いている丁度現在(いま)が、その12月8日であり毎日新聞のネット記事に「真珠湾攻撃、8日で80年 太平洋戦争開戦、日本側310万人犠牲」(12/8(水) 0:00配信・毎日新聞)の見出しで・・・(以下引用)
 
「日本軍が米ハワイ・真珠湾の米太平洋艦隊基地を攻撃してから、8日で80年となる。同じ日に日本軍は英国領のマレー半島にも侵攻し、太平洋戦争が始まった。真珠湾攻撃開始時に日本の開戦通告が米側に届いていなかったとされ、米国内では「だまし討ち」との声が上がり、「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」の言葉とともに反日感情が激化した。                         
日本は1937年から日中戦争に突入していたが、米国や英国との開戦で戦線が拡大。45年8月の終戦までに日本の兵士・軍属・民間人だけで310万人の命が失われたとされる。」(引用終わり)とあります。
 
今から80年前に、日本はとてつもなく大きな戦争に突入し多くの日本人が亡くなり、国土は焦土(しょうど・焼けて黒くなった土)化しました。        
何より、真珠湾攻撃が正面切っての一騎打ちではなく「だまし討ち」の奇襲攻撃であったが故に、アメリカ人の日本に対する心証は地に墜ち、大きな恨み・憎しみの塊と化したアメリカと戦うことになり、必要以上の損害・犠牲を払う結果に繋がりました。
 
その、真珠湾攻撃とは一体何だったのか?を限られた紙面の中で考えて見たいと存じます。・・・特に私は、自衛官でしたので入隊後色々先の戦争について教育を受けたり、自分自身でも興味があり調べて学んだ事があります。                                                             
 
それまで、歴史探偵である半藤一利氏の著書を読んだり、猪瀬直樹氏の『昭和16 年夏の敗戦』等を読み、「何と日本軍(日本政府)は愚かな戦争を行ったものだ」と考えておりました。
そんな中、今年に入り林 千勝(はやしちかつ)氏という近現代史研究家の存在を知り、YouTube動画や著書により勉強を進めたところ、私自身(大きくは日本人全体)歴史認識が全く間違っていたことに気づかされました。
 
林氏の著作物は、内容が深く「こうこうこうです」とすぐには言えないものですが、今回は氏の著書『日米開戦 陸軍の勝算』-「秋丸機関」の最終報告書-(2015年8月10日初版・祥伝社新書刊)を参考に話を進めてみたいと存じます。
 
私が、個人的にずっと考えていた先の戦争に対する疑問は、「アメリカと戦って勝てるわけはない」=「そんなアメリカになぜ戦争を挑んだのか」という疑問です。この疑問は、私だけではなく日本国民なら誰もが持つ疑問だと思います。
 
戦争というものは、「どちらか一方が正しくて、どちらか一方が決定的に悪い」ということで起こることはあり得ないと考えます。ましてや、日本人として「80年前の日本人がそれ程までに愚かであったと思いたくない」という思いもあります。
 
論を進めますと・・・林千勝氏の、『日米開戦・・・』を読むと全く違う世界が描かれています。簡単に言えば、「日本人は、それほど愚かではなかった」ということであり、日米戦争は「仕掛けられた戦争」であったという事実です。・・・この「仕掛けられた」の意味は深いので、今日は取り上げません。
 
あと、決定的に間違うのは「現代の日本人より、(昭和初期)当時の日本人は世界情勢に疎かった」という疑問がありますが、その話は本当でしょうか?
林氏の著書や動画を見ると、むしろ現代人より戦前の日本人は世界情勢について「はっきり・正しく認識していた」という事実が描かれています。
 
私も、恥ずかしながら昨年のアメリカ大統領選挙以後、マスコミの報道が如何に虚妄(きょもう・真実でないこと。うそ。いつわり)に満ちた報道であるかを思い知らされました。
それまで、確かに納得し信じていたわけではありませんが、これ程までに「酷いもの」かと痛感したのです。・・・戦前の日本は、現代日本より正しい情報が流布されていたようです。
 
参考動画
https://www.youtube.com/watch?v=EIgP9ftTEsY
「東京裁判と明治維新の虚構を暴く!」
https://www.youtube.com/watch?v=W6pTd3TL9wg
【改訂版②】林千勝先生第12回動画~ナゼ真珠湾攻撃が敢行されたのか?~全年齢対象版!
 

*法津如来のコメント

12月9日に、このブログで12月8日にあった歴史的な出来事について、いくつか述べた中に「真珠湾攻撃」がありましたが、詳しくは書きませんでした。

今回から石法如来が、4回に分けて詳しく説明していただけるようです。


「相似象学会誌」創刊号の「はじめに」(その7)

「相似象学会誌」とは、カタカムナ文献を発見し、解読した楢崎皐月(ならざきこうげつ)氏とその後継者である宇野多美恵女史が世に残した26冊(未完)の書であります。その創刊号の始めの言葉を、ブログ「潜象物理研究相似象学」から引用させていただきます。その際、原文にない節の番号をつけました。本日は(その7)です。
https://su5.blog.jp/archives/14154564.html


(以下引用)

(7)心といふ機能は天然理に属する潜態的物性心理で扱ふべき性質のものと思います。

「大脳の機能(アタマ)は自然理に従い、心(ココロ)は天然理に従ふ」といふ考へ方は東洋人に共通する観念即ち間主観でありませう。

神代時代の人々は、無限界の始元量を〈アマ〉と云ひ〈アマ〉は時間空間量の始元であると共に物心現象量の始元量であると直観して居ました。

そして心は、〈アマウツシ〉即ち始元量の遷移といふ潜象の一種であると観て居ました。


*法津如来のコメント
この節の言葉を厳密に理解しようとする難しいのですが、カタカムナの解説をする前に、その前提になる考え方について、ある程度共通の合意を持とうとするもです。

「大脳の機能(アタマ)は自然理に従い」とは、思考つまり考えるということは、論理的・合理的なやり方に従うということです。

「心(ココロ)は天然理に従ふ」とは、感情・感覚・直感などは天然理(人為が加わっていない、ありのままのやり方)に従っているということです。

楢崎皐月氏は、このような考え方は東洋人の共通の観念すなわち間主観でしょうと言っています。

彼は、間主観という言葉を使っていますが、ネットに次のような説明がありました。

(以下引用)
「ある事柄が間主観的であるとは、一見難しそうに聞こえるが、それほど難しくない言葉。 二人以上の人間において同意が成り立っていることを指す。 この状態は一般に、主観的であるよりも優れており、 客観的であるよりも劣っているとみなされる。」
(以上引用)

以上が東洋人の考え方ですが、縄文時代以前から生息していた神代時代の人々(カタカムナ人)は、時間・空間や物・心に現れる現象の始元は、無限界(潜象界)の始元からできていると直観していたのです。

ここで、始元量、時間空間量、物心現象量などのように量という言葉を使っているのは、時間も空間も物も心も無限界(潜象界)の極微細粒子(アマ)からできていると直観していたからです。

と言っても、これは唯物論ではありません。

そして、潜象界の始元量(アマ)が現象界に現れることをアマウツシと言い、心の働きであると直観していたのです。

ダンマパダ1偈、2偈は表現は異なりますが、同様な考え方を示しています。

1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。___車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。

2 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人に付き従う。___影がそのからだから離れないように。


「相似象学会誌」創刊号の「はじめに」(その6)

「相似象学会誌」とは、カタカムナ文献を発見し、解読した楢崎皐月(ならざきこうげつ)氏とその後継者である宇野多美恵女史が世に残した26冊(未完)の書であります。その創刊号の始めの言葉を、ブログ「潜象物理研究相似象学」から引用させていただきます。その際、原文にない節の番号をつけました。本日は(その6)です。
https://su5.blog.jp/archives/14154564.html

(以下引用)

(6)生体には、天然の支配する自然現象の巧妙なモデルが示されて居て、そのモデルは未来の動力機関と無尽蔵のエネルギー発生源を示唆して居るといふことであります。

人体に於ける簡素化されたスパイラル運動の成り立ちを暗示して居ることに気が着いたのです。


*法津如来のコメント

昔から、人間は天然の支配する自然現象の巧妙なモデルを学んで、生活に必要な技術を発展させてきました。

細かい例を挙げればきりがないのですが、代表的な例は発酵の技術でしょう。

果物やお米からお酒を作ることや、大豆を発酵させて納豆を作ることなどです。

また、私も最近まで知らなかったのですが、砂漠に落ちた雷をヒントにガラスを作る技術を学んだということです。

また、シャーレに培養していたバクテリアの繁殖を青カビが阻害していたということから、ペニシリンという抗生物質が発見された話は有名です。

ここで、楢崎皐月氏が注目したことは、未来の動力機関と無尽蔵のエネルギー発生源です。

カタカムナの理論を応用すれば、現在のモーターの回転を中心とした動力機関から、新しい動力機関が生まれる可能性であります。筋肉の伸び縮みを応用した動力機関が考えられます。(もしかしたら、これはもう開発されているかもしれません。筋肉はアクトミオシンというタンパク質のスライドで動くのです。)

無尽蔵のエネルギー発生源の活用、これは永久機関です。現在の科学では不可能と言われていますが、カタカムナの理論から言えば、これは不可能なことではないのです。

「人体に於ける簡素化されたスパイラル運動の成り立ちを暗示して居ることに気が着いたのです。」
について。

その一つの意味は、ワトソンとクリックが考えた遺伝子のスパイラル二重構造から、スパイラル運動の成り立ちに気が着いたのでしょう。

ワトソンとクリックが、遺伝子が二重らせん構造をしていると論文で発表したのは1953年です。楢崎皐月氏がカタカムナ文献を発見したのは1949年で、「相似象学会誌」創刊号でカタカムナについて発表したのは1970年ですから、彼はワトソン・クリックのモデルを知ったのでしょう。

カタカムナ文字で表示されているカタカムナ文献は、個々のカタカムナ文字の回転と文字の配置が渦巻き状に配置されているのです。これは違った意味で、まさに二重らせんなのです。

「相似象学会誌」創刊号の「はじめに」(その5)

「相似象学会誌」とは、カタカムナ文献を発見し、解読した楢崎皐月(ならざきこうげつ)氏とその後継者である宇野多美恵女史が世に残した26冊(未完)の書であります。その創刊号の始めの言葉を、ブログ「潜象物理研究相似象学」から引用させていただきます。その際、原文にない節の番号をつけました。本日は(その5)です。
https://su5.blog.jp/archives/14154564.html

(以下引用)

(5)生命の現象は、生体内の電気現象に関連が深いといふ観方が妥当である。

そして生体内の電気現象は、半導体物質に於る電気特性ー即ち電気のキャリア(電気運搬粒子)が電子(雄性・サヌキ)と正孔(雌性・アワ)の異性によって、励発誘発する性質であるといふ点と相似してゐることに興味がある。

(以上引用)


*法津如来のコメント

生命活動に不可欠なエネルギー代謝、神経伝達、筋肉の動きなどにおいて、電子伝達系が働いています。

それらは生体内の電気現象であります。

それらの現象は、半導体における電気の流れ、それを担っている電気運搬粒子の動きと似ていると言っているのです。

つまり、電子(雄性・サヌキ)と正孔(雌性・アワ)という性質の異なるものによって、励起され、誘発されるということです。

この「正孔」とは、半導体の中を電子が流れる際、元素の周りを回っている電子が抜け出て移動するわけですが、抜け出たところは正電気の穴になるのです。この正電気の穴を正孔」といいます。

半導体には2種類の性質のことなるものがありますが、それらをいろいろ組み合わせることによって、いろいろな働きを生み出すことができるのです。

カタカムナは、生命の実体は2種類の性質のことなるものが重合、正反を繰り返し、現れた結果であると教えています。


石法如来の特別寄稿:「基本」を学ぶ。

通信教育というテーマで、佛教大学通信教育部在学中のことを色々書きましたが、仏教思想をまるでかじったことの無い人間が(仏教の)教育を始めるとなると大変な努力が必要になります。
私の場合は、通信大学入学までの約15年間ほど東京大学の教授などが執筆した関係書籍を学んできましたから、特段難しいと感じることなく勉強を進めることが出来たのです。
 
これを、一から学ぶとなると大変なことです。ましてや、通信制大学では教えてくれる先生が身近に居る訳ではないので独学でテキスト履修しなければいけません。
その他、レポートの書き方とか学外スクーリングの参加の仕方とか学ぶことは沢山ありますから、あまりの大変さに勉強を途中で投げ出す人間が大勢出て来ます。
 
難しい、参考書などを読んで自分なりに勉強を進めて来たにしても、その勉強内容が間違っていたら全く話にはなりません。
大学で、自分の見解を主張出来るのは卒業論文位で、他は設題に対して適切に解答しなければ話にならず及第点に至りません
 
仏教の勉強は(他の学びも同じですが)、とにかく忍耐強く一歩一歩学びを進めなければいけません。棒高跳びのように、ひとっ飛びは出来ないのです。
ここでも、修業と同じように聖求(しょうぐ)が大切です。仏教の「何たるかを把握してやる」という気持ちこそが大切なのです。
 
こころ折れることなく、仏教の何たるかを求める気持ちを維持するのは相当難しいものです。余程の決心がなければ途中で挫折します。
歯を食いしばり頑張れば何とかなる、という世界ではありません。長年の地道な努力こそ自分自身を助け・育て上げるということに尽きるのです。
 
通信制の大学と言えど、現在は大学院まで設置されています。私が、通信教育で履修していた頃は「専修科」ということだったと記憶しておりますが、その後正式に大学院が認可された経緯があります。実際に、私と同じ年に佛教大学を卒業した知人が大学院課程に入学しておりました。
 
あるとき、彼の学んでいるもの(研究テーマ)を見せて貰ったことがあります。それを見て、私は正直驚きました。
何に驚いたか?というと、あまりに専門的すぎる内容に驚いたのです。大学院(修士課程)の学びは、学士課程の「広く・浅く」では無くて、「狭く・深く」です。
 
ですから、設定したテーマを深く掘り下げなければなりません。それこそ「重箱の隅をつつく」ように研究を進めていく訳です。
研究論文の、ある部分を読んで私は「世間との乖離」を痛感しました。要は、あまりに専門的になりすぎて一般社会の現実と、とんでもなくかけ離れてしまうものと感じ、そのようなものは「何の役にも立たない」と理解・納得したのです。
 
その一件があり、私は自分自身の能力的な問題もあり大学院への進学を止めました。決して私は、研究者を目指している訳ではなかったからです。
 
この様なことは、仏教修業過程においても起こり得ます。要は、難解な教学を学ぶことが修業の進捗には必要であるという見解に陥るということです。
若い頃は、特に難しい「何を書いているか分からない理論」に憧れるような時期があります。その様な、難しい理論を好む頭脳の人がいても何ら不思議ではないし、その様な頭脳構造を持つ存在を否定致しません。
 
しかし、難解な教学を学んだから修業が進むと言うことはあり得ないし、逆に追求すべき「この世の真実」から確実に乖離してしまいます。そうなると、何を学んだか分からなくなり、学ぶことの意義すら失うこととなります。
 
「仏教の修行と学び」とは、知的好奇心を満足させることではありません。どのような、専門的知識・技術的なこともみな同じで「基本」にたち返ることが重要です。
難しい論理など、ほとんど意味もなければ必要もありません。仏教の、「基本」をしっかり学ぶ姿勢と心構えこそが大切なのです。


*法津如来のコメント

石法如来、今回も寄稿ありがとうございます。

みなさま、仏教の「基本」は何か?をしっかり考えてください。


「相似象学会誌」創刊号の「はじめに」(その4)

「相似象学会誌」とは、カタカムナ文献を発見し、解読した楢崎皐月(ならざきこうげつ)氏とその後継者である宇野多美恵女史が世に残した26冊(未完)の書であります。その創刊号の始めの言葉を、ブログ「潜象物理研究相似象学」から引用させていただきます。その際、原文にない節の番号をつけました。本日は(その4)です。
https://su5.blog.jp/archives/14154564.html

(以下引用)


(4)私達はあくまで神秘思想を避け、従来の自然科学にもとらはれず正当な理学的裏付けを持った説明可能な方法による為に、エントロピーの概念を借りる事にしている。

人間のみならず、あらゆる生物ーそれには地球も他の天体も含まれるが、すべて生命あるものは常にその生命を損なって死に至る方向(正プラスエントロピー)とそれを補って自衛する方向(負マイナスエントロピー)がある。


*法津如来のコメント

この節で述べていることは、神秘思想を避けるために、エントロピーの概念を借りることにしているということです。

神秘思想とは、詳しくは各自調べてほしいのですが、不可思議なことがらを自分で理解することを放棄して神などの啓示を受け入れる思想です。

エントロピーとは、この言葉がわかっている方には説明は不要でしょうが、この言葉を知らない方にはこの説明は厄介です。

そのため、ネットに「小学生にもわかるエントロピーの話」などが掲載されています。
https://macasakr.sakura.ne.jp/entropy.html

この言葉は熱力学という学問から生まれたものですが、熱は後から加熱しない限り、温度が下がり冷えていきます。このとき、エントロピーは増大するといいます。

この考え方を拡張して、秩序あるものが秩序ないものに変わっていく過程をエントロピーが増大するというのです。

すなわち、無秩序化をエントロピーという言葉で表現しているのです。

人間のみならず、あらゆる生物ーそれには地球も他の天体も含まれるが、すべて生命あるものは常にその生命を損なって死に至る方向に進んでいます。これはエントロピーが増大しているというのです。

生命は、生まれ、成長し、老化し、死にます。

生命は、老化し、死ぬ過程はエントロピーが増大し、一般の熱力学の法則に従っているのですが、

生まれ、成長する過程はエントロピーが減少しているのです。

理論物理学者シュレディンガーは「生命とは何か」(岩波文庫)という本の中で、次のように述べています。

私は今この本は手元にないので、「松岡正剛の千夜千冊」から引用させていただきます。
https://1000ya.isis.ne.jp/1043.html

(以下引用)
「宇宙の全体や物質の基本的な運動は、大局的には「エントロピーの増大」に向かっている。このことを宣告しているのは熱力学第2法則というものだ。どんな物質も放っておけば(閉鎖系のシステムならば)無秩序な状態に向かい、周囲の環境と区別がつかなくなっていく。
 締め切った部屋で熱い紅茶を放っておけばやがて紅茶は器と同じ温度になり、器もろとも室温と同じになっていく。熱力学ではこれを熱死(熱的死)と言っている。熱死とは無秩序の頂点のことをいう。宇宙も紅茶も、ひたすらこの熱死に向かっている。
 ところが地球上の生命がせっせと活動をしているときは(開放系なので)、これとは逆の現象がおこっているように見える。生命は熱力学の原理に抵抗するかのように情報生命体としての秩序をつくり、これを維持させたり代謝させたりしているのだから、無秩序すなわちエントロピーの増大を拒否しているようなのだ。
 むろん生物の個体もやがては死ぬのだから、大きくいえば熱死を迎えることになる。しかし、そこにいたるまでが物理学の法則に沿ってはいない。生命は個体としての生物活動をしているあいだ、ずっとエントロピー(無秩序さの度合)をへらし、なんとか秩序を維持しようとしているようなのである。」
(以上引用)

このために、すべて生命あるものは常にその生命を損なって死に至る方向(正プラスエントロピー)とそれを補って自衛する方向(負マイナスエントロピー)があるとしているのです。

しかし、ここからが大事です。

シュレディンガーは、正プラスエントロピーも負マイナスエントロピーも現象界の事柄として考えているのですが、カタカムナの考え方は異なるのです。

カタカムナの考え方は、生命を正プラスエントロピー(カタ)と負マイナスエントロピー(カム)が合わさった生き生きとした天然自然のあり方として捉えているのです。

「相似象学会誌」創刊号の「はじめに」(その3)

「相似象学会誌」とは、カタカムナ文献を発見し、解読した楢崎皐月(ならざきこうげつ)氏とその後継者である宇野多美恵女史が世に残した26冊(未完)の書であります。その創刊号の始めの言葉を、ブログ「潜象物理研究相似象学」から引用させていただきます。その際、原文にない節の番号をつけました。本日は(その3)です。
https://su5.blog.jp/archives/14154564.html

(以下引用)

(3)現代の理学が数学的抽象の観念性に深く魅せられて、自ら彷徨を続けて居ながら観念世界の探求を排するのは不合理な話である。

ここで数学の抽象性とか、観念論的性格を論じようとするものではないが現代の数学の効果は実用的便宜と真理実相の隠蔽であることに注意を向ける必要がある。

最新の数学や生理学の動向は、客観現象の反面に存在する「潜象世界」とその「過渡状態」に向かって「脱皮」せざるを得ない所に来ている。

そしてその為の基本は、「相似象」的発想を知る(サトル)にある事を指摘したい。

(以上引用)

*法津如来のコメント

この節では、現代の数学や現代の生理学などの自然科学の問題点について述べているのです。

これらの学問が「現象世界」のみを対象にしていて、「潜象世界」とその「過渡状態」については、観念世界の探求として排除していることです。

そのために、例えば数の本質については理解できず、生命の本質について理解できないのだと指摘しているのです。

つまり、数学は「数とは何か?」「数の根源とは何か?」また生理学あるいは生物学は「生命とは何か?」に答えられないのです。

それらを研究する学者は、それらの問いは「観念世界の探求として排除している」のです。

それらの問いに答えるためには、「潜象世界」とその「過渡状態」があること知らなけれなりません。

それを知るためには、論理ではなく、高度の直観が必要なのです。

もっとわかりやすく説明すると、

現代の自然科学は、現象(カタ)のみを研究しており、その現象を生み出す潜象(カム)を無視しているのです。

そのために、現象界について正しく認識できず、そこから脱皮しなければならないところにきていると指摘しているのです。



「ぼく モグラ キツネ 馬」

妻が、チャーリー・マッケジー著「ぼく モグラ キツネ 馬」という本を図書館から借りてきました。

ちょっと、それを覗いてみると、ぼくとモグラとキツネと馬が手書きの線で柔らかく描かれています。

それに手書きの文字でかれらのことばが書かれているのです。

その始めの方に、


「おおきくなったら、なにになりたい?」

モグラにきかれたので、ぼくはこたえた。

「やさしくなりたい」


と書いてありました。

いいね!とおもいました。

すこし先のページに次の言葉がありました。



「いちばんの時間のむだって

なんだとおもう?」

ぼくがたずねると、モグラはこたえる。

「じぶんをだれかと くらべることだね」



という言葉もありました。

そうだね!とおもいます。

これはおすすめの本です。


*法津如来のコメント

本日、2回目のブログ更新です。


「相似象学会誌」創刊号の「はじめに」(その2)

「相似象学会誌」とは、カタカムナ文献を発見し、解読した楢崎皐月(ならざきこうげつ)氏とその後継者である宇野多美恵女史が世に残した26冊(未完)の書であります。その創刊号の始めの言葉を、ブログ「潜象物理研究相似象学」から引用させていただきます。本日は(その2)です。
https://su5.blog.jp/archives/14154564.html


(以下引用)

(2)神話は、「上古代の神々によって作られたもの」であるばかりでなく現代に於ても作られるべきであり、それが最高の相似象学である。

なぜなら、カタカムナの上古代人の天然宇宙のカミ(起源)のサトリを伝へる〈カミカタリ〉が、上語 → 神話といふ漢字に書き換へられたところに、後代人の混迷の萌しが観られこの神(カミ)や神話(カミカタリ)なるものの真相を究明するのが相似象学の基本態度である。

世の常識や既成観念にわづらわされずにこの仕事を推進する為には、何よりも高度の直観が要請される。相似象学の勉強法の根本が、自分自身の「直観性能(カン)の鍛錬」を第一条件として居るのはこの故である。

(以上引用)

*法津如来のコメント

「神話は、「上古代の神々によって作られたもの」であるばかりでなく現代に於ても作られるべきであり、」という文章で何を言いたいのでしょうか?

この場合の「神話」とは、「シンワ」ではなく、「カミカタリ」なのです。

「カミ」とは、神(シン)ではなく、カ(=現象の根源、力)とミ(=実体)の合成語です。

カミとは、天然宇宙のカミ(起源)のサトリということになります。

「カミカタリ」は、天然宇宙のカミ(起源)のサトリを伝へるものであります。

ですから、現代に於ても作られるべきであるということになります。

しかし、「カミカタリ」を上話(カミワ)あるいは神話(シンワ)という漢字に書き換えられたために、

「カミカタリ」の真相がわからなくなり、後代人の混迷が現れたと述べているのです。

このことをサトルためには、世の常識や既成観念にわづらわされずに、

何よりも高度の直観が要請されるというのです。

相似象学の勉強法の根本が、自分自身の「直観性能(カン)の鍛錬」を第一条件として居るのはこの故であるとしています。



石法如来の特別寄稿:大学通信教育(その8)

京都の観光案内を少し書きましたが、最後は勉強のことで締めくくりたいと存じます。私が、佛教大学で学ぼうと考えた動機は(その1)に書いたように、「せっかく仏教の勉強をしたのだから力試し」にという理由がありましたが、他にもいくつか訳があります。
 
その一つ目は、私が進学した釧路第一高等学校が度重なる労使紛争で、1978年(昭和53年)3月に廃校になってしまったということです。
私の母校は、スピードスケートを筆頭にスポーツ競技全般に強く全道を代表するスポーツ強豪校として名を馳せたておりました。その母校を失い、無意識の中に強い喪失感があり「母校が欲しい」と願ったことがまず理由に挙げられます。
 
次に、大学というものに対する憧れです。・・・私は、特別職の国家公務員として勤務しておりましたが、その世界は完全な学歴社会です。勿論、中卒で幹部自衛官になられた方もおりますが、偉くなる人は大抵防衛大学を筆頭に大卒者ばかりです。
特段、その職場で偉くなるつもりはありませんでしたが、自分自身の(学歴や出身高校の廃校という)劣等感の裏返しとして、大卒の経歴を無意識に望んでいたのだと振り返ります。
 
最後三つ目は、仏教思想を将来他人に語る状態になったとき、「それは、単なる貴方の見解でしょう」と言われた時など、「そうじゃありません、きちんと教育受けてますよ」と答えられると考えたことです。・・・最も、その様な場面に遭遇したことはありませんが・・・。
 
人間、困難なことをやり遂げるには相応の理由と動機付けが必要です。表向きな理由ばかりではなく、「やってやるぞ!」という強い気持ちがなければ、物事をやり通すのは難しいものです。
それまでの人生で、しっかり勉強してこなかった自分自身の反省と、自らを叱咤激励する気持ちの裏返しだったようにも思います。
 
最後に卒業論文のことですが、最初は難しいものに手を付ける気持ちはありませんでした。大学2年生の終わり頃、道東開催の(大学の)勉強会があり仏教学科から田中典彦(のりひこ)教授(後に、仏教大学長)が来釧されました。
勉強会が終わり、教授を釧路空港まで私が車で送ったのですが、その間の会話の中で「君は、縁起をやったら良い」と言われ、そこで方向性が決まったのです。
 
縁起思想は、ほとんど研究し尽くされそれをなぞるだけでは面白くないので、漢訳の『大正新脩大蔵経』(たいしょうしんしゅうたいぞうきょう)を和訳して独自性を追求しました。                横書きの、パーリー・サンスクリットが全く駄目なので苦肉の策でもあり、それなりに時間をかけて一語ずつ辞典を調べて翻訳したのです。
 
自分なりに、新たな発見がありましたが『大正新脩大蔵経』自体膨大な量の経典であり、ほんの少しかじって終えただけというのが正直なところです。
 
卒論の提出過程について詳しいことは忘れましたが、草稿提出の前段階で担当教授に指導されたので「大体書き上げています」と申告し、それまで書いた分を郵送したら教授に「これで書いて良し」と言われたことが思い出に残っています。
 
卒業論文を書く時間は十分にあったので、ワープロで何度も文章を打ち替え、表現の仕方の修正に時間をかけました。、                           
草稿も、論文の提出も問題なく終わり最後の難関は論文の「口頭試問」です。日時指定ですから、何が何でも「その時刻その場所に」行かなければいけません。
 
何とか仕事の都合をつけ、その場に臨むことが出来たのですが、その時私は単身赴任中の身であり「よくぞ、全て順調にことが運んだ」と、自分自身感心しました。
結局、口頭試問持ち時間30分は「ほとんど雑談で終わり」あっけなく終了しましたが、あとで色々聞いたら口頭試問を行う目的は、「(論文を)本人が書いたのではなく、ゴーストライター(第三者)が書いたのでは無いか?」を確認するためのものとのことでした。
 
色々なことのあった四年間ですが、何のトラブルもなく勉強もすすみ、単位も順調に取得し晴れて卒業式に臨むことが出来ました。
物事が、全てすんなり進んだことに驚きしかありませんが、一生懸命物事に打ち込んでいると決して悪いようにはならないのだと、一生で一番勉強した四年間を振り返りました。
(おわり)


*法津如来のコメント

石法如来の特別寄稿:大学通信教育シリーズは今回でおわります。
石法如来、ありがとうございました。

次回の御寄稿もお願いいたします。


「相似象学会誌」創刊号の「はじめに」(その1)

「相似象学会誌」とは、カタカムナ文献を発見し、解読した楢崎皐月(ならざきこうげつ)氏とその後継者である宇野多美恵女史が世に残した26冊(未完)の書であります。

その創刊号の始めの言葉を、ブログ「潜象物理研究相似象学」から引用させていただきます。
https://su5.blog.jp/archives/14154564.html

1500字程度で長くはないのですが、少し難しいので7回か8回に分けて掲載し、コメントします。
その際、原文にはない番号を節頭にふります。

(以下引用)

創刊号:1970年10月

(1)人間としての在るべき態度を求めて勉強して来たものの内容は、従来の学問のどの範疇にも入らないので長い間名称も付けず黙々と学んで来た。

私たちは、新奇をてらひ異をたてる為に耳新しい「相似象学」を称するのではない。

天然の相似象を学ぶことによって願わくは、自らの心が天然の心に相似し自らの生き方が天然の営みに相似することを努めるものである。

天然の相を素直に感受して、それに叶ふ「スベ」を伝へている私たちの祖先の上古代人の〈ことば〉が何よりも強く私達を啓発してくれる最高の文献である。

(以上引用)


*法津如来のコメント

楢崎皐月氏は、兵庫県六甲山系の山中でカタカムナ神社(保久良神社)の御神体といわれる巻物を見せてもらい、それが満州の仙人から聞いた八鏡文字であると直観し、苦心惨憺にすえ解読した内容は直観の通り、人間としての在るべき態度を示すものであったのです。

それは従来の学問のどの範疇にも入らないものでありました。

彼らは、それに「相似象学」と名付けました。

その意味は、天然自然は全て、相似の象(相、層)で構成されているということです。

現代的に言えば、宇宙はフラクタルであるということになるでしょう。

そのために、人間(自己)を知れば、世界がわかるということになるのです。

逆に、世界がわかれば、人間(自己)がわかるのです。

何でもよいのです。何かがわかれば、全てがわかるということです。
しかし、ほとんどの現代人は素直な直感力を失っているので、何一つ真実がわからなくなっています。

その時、カタカムナ文献が発見され、世の中に現れました。

上古代人は、素直な直感力によって、天然自然は相似象と直観したのです。

それをカタカムナ文字で、天然の相似象を表現し、それを現代人に伝えているのです。

カタカムナ文献を学ぶことにより、天然自然の相似象を知り、

「自らの心が天然の心に相似し自らの生き方が天然の営みに相似することを努めるものである。」と述べているのです。



カタカムナと仏教

このブログにおいて、カタカムナの話が話題になることに違和感を持たれている方おられるでしょう。

その点について、その点について述べておきます。

端的に言って、カタカムナが主張する「現象界と潜象界」は仏教における「色と空」の関係なのです。

ただそれだけならば、カタカムナを学ばなくともよいのです。

カタカムナなど全然知らなくとも、覚りの境地に達した方々が何人もおられるからです。

ですが、従来通りの仏教を勉強して仏教を誤解している方や仏教に関心がない方が、

カタカムナの縁で覚りの境地に達することができれば、それに越したことはないのです。

しかも、仏教の「色と空」の関係をカタカムナでは「カタ(現象)とカム(潜象)」の関係としてより細かに述べられており、「色と空」の理解の助けになるのです。

そもそも、カタカムナ文献は1949年に物理学者・楢崎皐月(ならさきこうげつ)氏によって発見され、苦労を重ね解読されたものですが、

1970年10月「相似象学会誌」として発表されたもので、世に知られたのは最近のことです。

そこで、「相似象学会誌」創刊号の「前書き」に当たる部分がネットにありましたので、
https://su5.blog.jp/archives/14154564.html

引用させていただき、少し難しいので、私の理解の範囲で、少し解説させていただきます。

それを、明日から7回か8回に分けてこのブログに掲載します。


昔の修行仲間の「ブッダの決定的な話」の感想

昔の修行仲間から「ブッダの決定的な話」の感想のメールで頂きましたので、一部修正して引用します。

(以下引用)

概ねこれまでの本と重複する内容が多いですが、比較的にわかりやすい文章に変わったように感じられました! 

功徳の具体的な内容と『理詰めより信仰心』がなぜ大切かが詳細に※「理詰め」で説明されているのは素晴らしい!

思考、直感などタイプ別で苦手な所の御指摘が参考になりました!

基本的に「私が感じる所では」前回御購入させていただいた本もそうですが、

重要な箇所がほとんどの本で前半部分に偏っているような気がしました!

今回の本は一番文章的には読みやすく書かれているような?

在家修業者の盲点である「功徳と信仰心」の重要さが詳細に理詰めで書かれているのには感動! 

現代の日本人は信仰心と聴いて「感覚的に理解できない」方々が、

多いのはやはり、以前如来がワンギーサ時代におっしゃていた

『ヴィパサナ瞑想もしくはサマタ瞑想の「技法修業に偏って」慈悲瞑想の軽視が多い』からでは? 

実際に今の世界的なマインドフルネスブームはウィパサナ瞑想「法」オンリーのようですから!

また☆☆☆☆☆『人が誰でも悟ることができる根拠の全てが

「人は誰もがやさしくありたいと願っている」』とのSRKWブッダのお言葉は、眼から鱗。

また『言葉によって悟りの機縁』が生じるとの仏陀の言葉を聴き、

言葉を大切にした理詰めの太極理実践会に★★★★★「信仰心を育む、慈悲の瞑想が存在していたら」

法津如来以外にも小悟者が続出し、導師の50羅漢計画も10分の1くらい実現していたかもしれないと感じました!   

しかし、皆さん功徳は積まれているのではないか?とも感じます! 


また自分が今回最も学ばせて頂いたのは、覚(悟)りとは

☆☆☆☆☆『自分を含めて※「誰一人として悲しませることがない」』ということでした! 

名称と形態の説明は極める精緻になさってましたが、

「記憶反応と本能欲求反応」と説明したら一般にはわかりやすいと感じました!

解脱知見の5つの見分け方は非常に役立つ指針かと!

またほとんどの人は『「幸せは限界点がある刺激」だと識らない』から、

いくら悟りの素晴らしさを「鼻先にニンジンをぶら下げる説明」をなさっても、

ある程度「自己(自我)実現して、幸せの果てを観る成功指導」が凡夫には必要だと感じますが?

因縁と言えばそれまでですが。

これは「悟りを目指してる」と口では言っており、

実際に「技法は探求している在家修業者」に多いと体験的に感じています!

本当は「恋愛・結婚相手が欲しい」のに持てないから修業に『逃避している方々が男女ともに

★★★★★「在家では特に」多い』ですから! 

この点の凡夫自称?在家修業者の問題についてのSRKWブッダの御指導本も読みたいものです!

また今回改めて、法津如来と自分は、仏教の智慧の枠を超えたキリスト的ハートの愛、

「日本民族の言霊の道」も含めたハイブリットタイプの道を探求している

『ニュータイプだと改めて感じました』!合掌

『それ』は量子物理学に符合するカタカムナならより仏道を科学的に説明できて、

このことが『現代人の信仰心を強める道になる』のではないかと直感したためです!合掌

(以上引用)



*法津如来のコメント

引用文中「導師の50羅漢計画」とは島田明徳導師の阿羅漢を50人は輩出させるという計画です。

石法如来の特別寄稿:大学通信教育(その7)

京都の街は、歴史が古く知らないことも多い場所です。少し、京都の街を学んみたいと存じます。
 
大学のスクーリング時、京都駅の南側にある東寺を訪れたとき東寺の西側に、「西寺」(さいじ)というお寺が東寺と左右対象で存在していたという話を聞きました。(以下、引用)
「毎月21日、東寺の境内は「弘法さん」でにぎわいます。そんな人ごみをよそに、西へ約1km 行くと、中央に土壇のある公園があります。これが西寺の跡です。この二つの寺は、同時に造られましたが、一方は今でもにぎわい、他方は地上から姿を消してしまいました。
 
このように対照的な道をたどったお寺について、お話しましょう。今から1200年前、都が平安京に移ります。それまでの都(平城京・長岡京)には京内に多くの寺がありましたが、新京の中には二つしか造られませんでした。それが東寺と西寺です。二つの寺は、平安京の南辺九条大路(くじょうおおじ・平安京の最も南に位置する大路)に面し朱雀大路(すざくおおじ・律令制時代の日本における都内の大路)をはさんで、対称の位置に配置されました。
 
東寺は左大寺(ひだりのおおてら)とよばれ、左京さらには東国を護まもるために、西寺は右大寺(みぎのおおてら)とよばれ、右京、西国を護ることを目的として造られた官営の寺院です。このため、寺造りには特別の役所が置かれました。・・・中略・・・
 
両寺の建設工事は、都造りといっしょに進められましたが、規模が大きかったためか、なかなかはかどりませんでした。中でも、東寺は、9世紀前半になって講堂や塔などが造られはじめ、後半にやっと完成しました。造り始めてから、50年近くもかかったことが記録に残っています。
 
西寺は、律令国家を護る寺として、国の行事の会場となり、また各地の僧侶を取りまとめる役所が置かれ、発展しました。ところが正暦(しょうれき) 元年(990)に火事にあい、なかなか復旧できませんでした。さら に、 天福(てんぷく)元年(1233)には残っていた塔が焼け落ち、律令体制が落ちぶれると共に埋もれてしまいました。」(以上、「東寺と西寺」リーフレット京都No71から引用)とあります。
https://www.kyoto-arc.or.jp/news/leaflet/071.pdf
 
まさに、諸行無常ですが東寺と対に西寺が現存したなら、京都の町並みもまた少し違ったものになっていたかも知れません。
 
京都は、見所満載で寺院の紹介も難しいのですが、佛教大学近くに京都でも有数の規模を有する禅宗寺院である、「大徳寺(だいとくじ)」があります。
「境内には仏殿や法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並び、近世寺院の雰囲気を残している。大徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である。」(以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用)と書かれています。
 
私が、数多い大徳寺内のお寺で実際に入ったことがあるのは瑞峯院(ずいほういん)です。瑞峯院は、、臨済宗大徳寺派の寺院であり、同派大本山大徳寺の塔頭(たっちゅう・禅宗寺院で、祖師や門徒高僧の死後その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔(多くは祖師や高僧の墓塔)や庵などの小院。)であり、境内には大友宗麟夫妻の墓があります。
 
瑞峯院には、静かで落ち着いた美しい庭園があり、「方丈を中心として南・北・西の三庭からなっている。いずれも重森三玲の手によるもので、昭和36年(1961年)、開祖である徹岫宗九の400年遠忌に作庭された。」もので、この庭園を味わうために訪れたのです。
https://aumo.jp/articles/23356
 
スクーリングに参加していると、なかなか遠出の機会がありませんでしたが、4回生の時学友ら3名と京都の観光バスを利用して、比叡山延暦寺を詣でました。
京都駅から、比叡山延暦寺までバスで70分ほどの行程ですが、観光バスに乗るとガイドさんが色々説明してくれて勉強になります。
 
覚えているのは、天台大師最澄の「一隅を照らす者、これ、国の宝なり」という言葉と、比叡山延暦寺というのは比叡山全体の名称であり、延暦寺という個別の名前を持つお寺は存在しないということ。京都観光バスは、案内付き・豪華な昼食・国宝殿の拝観付きで充実した時間を過ごすことが出来ます。
 
帰りは、ケーブルカーに乗り延暦寺から比叡山坂本まで下りました。この比叡山坂本は、以前「歴史の闇・・・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)(その3)」で延暦寺が坂本の農民暴徒に襲われた話を書きましたが、まさにその暴徒達の地元と言うことになります。
https://www.hieizan.or.jp/
 

SRKWブッダの新刊「ブッダの決定的な話」

昨日、SRKWブッダの新刊「ブッダの決定的な話」の紙の本がアマゾンから届きました。

電子書籍 Kindle版ではすでに、0円で発売されていますから、すでに読まれておられる方もおられるでしょうが、Kindle版で読めない方(私がそうです)は、この本の「はじめに」の部分は次のURLから読むことができます。
http://srkw-buddha.main.jp/sinnkann6.htm

参考のために、目次について次に引用します。仏道修行者にとってはすべて知りたい項目でしょう。

(以下引用)
はじめに
覚りとは何か
誰もが覚ることができ得る根拠
覚った後、つまらなくないか
あったものがなくなるということ
覚りのメカニズム
解脱知見
偽の覚者
優しくても覚りは生じる
精神的な成長と覚り
この世に自分一人しか存在しないならば
言葉によって解脱する
法の句について
三身仏は人間の中に存在している
発心(発菩提心)と仏種・仏性
目の前の人
功徳を積むということ
功徳を速やかに積む方法
知足と懺悔(さんげ)
世を厭う気持ちが定まること
善悪の軛を超えること
覚れないことを恥じるに及ばない
途中の実りが存在しないことについて
修行の中断について
性格と覚りの可否
経典の読み方
愚者は荷牛のように老いる
肉食と菜食
飲酒の可否
妻帯と覚りの可否
覚りの素質
聖求について
輪廻説の可否
争うことのない修行者
対等・平等ということ
筏の譬え
文化・芸術・宗教は決定的ではない
あとがき
(以上引用)


12月8日、忘れられない出来事

昨日は2021年12月8日でした。12月8日といえば、忘れられない出来事があります。

東京新聞の昨日の夕刊より引用。
(以下引用)
真珠湾攻撃 太平洋戦争の発端になった旧日本軍による米国への奇襲攻撃。1941年12月8日(現地時間7日)、米ハワイ・オアフ島の真珠湾にある米軍基地や戦艦や戦闘機などで攻撃し、米側は戦艦アリゾナなどが沈没、約2400人が死亡した。日本側は航空機など29機などを失い、約60人が死亡したとされる。米国は日本に宣戦布告し、「リメンバーパールハーバー(真珠湾をわすれるな)」を掛け声に反撃した。
(以上引用)

この事件について詳しく書く余裕はありませんが、常識的に知られている事実の裏にどのようなことがあったのか今では調べる気があればわかります。

アメリカの国民も日本の国民も戦争はしたくないのです。しかし、戦争によって利益を得る人々もいるのです。

当時のアメリカのルズベルト大統領は日本と戦争をするために、真珠湾攻撃を画策していて、アメリカ国民を煽ったのです。国民がその気ならなければ戦争にならないからです。

もう一つ忘れられない悲しい出来事がありました。ジョン・レノンの殺害です。

(ウッキペディアから以下引用)
ジョン・レノンの殺害(ジョン・レノンのさつがい)とはビートルズのメンバーであるジョン・レノン(John Lennon)がアメリカ・ニューヨーク市にて1980年12月8日であったニューヨーク高級集合住宅ダコタ・ハウスの入口にてレノンはマーク・チャップマン(Mark David Chapman)に1980年12月8日(月)22時50分ごろ銃撃された。レノンは妻オノ・ヨーコと共にレコード・プラント・スタジオ から帰宅したところだった。
(以上引用)

この事件に関しては、次の記事に共感します。
「12月8日はジョン・レノンの命日。“ラヴ&ピース”は死なない、もし君らが望むなら」
https://nikkan-spa.jp/1798271


最後に、多くの日本人に忘れられいますが、重要な行事があります。成道会です。

(ウッキペディアから以下引用)
成道会(じょうどうえ)とは、釈迦の成道(悟りを開いた事)を記念して行われる法要(行事)のことである。日本独自の伝承では、釈迦は臘月(旧暦12月)の8日に成道したとされているので、成道会を臘八会(ろうはちえ)とも称し、この日に法要が行われる(中国撰述の史書では如月(旧暦2月)の8日に成道したとされる)。南伝仏教では、ウェーサク祭として、5月の満月の日に仏誕会、涅槃会と共に行われている。
(以上引用)

なぜ日本では釈迦の成道を12月8日になっているかはわかりません。

ウッキペディアの記述にありますように、テーラワーダ仏教では5月の満月の日に釈迦は生まれ、悟りを開き、お亡くなったとしています。

日本では、誕生会は4月8日、成道会は12月8日、涅槃会は2月15日です。

ブッダが悟りを開いた日は特定できなくとも、悟りを開いた(成道)したという事実が重要なのです。

生身の人間が悟りを開くことができるということを実証しているからです。


石法如来の特別寄稿:大学通信教育(その6)

古都京都は、古い歴史のある都市であり仏教寺院も多く仏教を学ぶ人間にしたら興味の尽きない土地柄です。今日は少し、自分が実際に見聞した京都の町並みを紹介します。
 
私的には、鴨川(かもがわ)の東側川沿いの土手を京都の風情を感じながら歩くのが好きで、場所的には「川端通」(かわばたとおり)と称され、地面下には地下鉄が通っている土手風の道路です。
 
その通り(川端通)は、本当に静かでゆったり流れる鴨川を東側台上から眺める位置にあり、テレビなどでも祇園四条から京都河原町を眺めた場面などが映し出すポイントで、穏やかな京都の風情を感じることが出来ます。
 
道路を歩くと言えば、「哲学の道」を歩いたことがあります。それは確か、銀閣寺(ぎんかくじ)を訪れた際の帰り道だったと記憶しています。
https://kyototravels.com/guideginkakuji/
 
銀閣寺は、佛教大学近くの金閣寺のイメージとまるで違い、壁面は銀色に加工されておらず普通の木造建築物で少しがっかりされるかも知れません。
銀閣寺は、目立たない落ち着いた佇まいが特徴ですが庭園も見所の一つになっています。京都の寺院に見られる庭園は、枯山水(かれさんすい・水を用いずに岩や砂などで山水を表現した日本庭園の様式の一つ)と称されるものです。
 
銀閣寺から、哲学の道を歩いて南禅寺(なんぜんじ)に向かうコースがあります。哲学の道は、哲学者の西田幾太郎が物思いに耽りながら歩いた道として有名ですが、白川疏水通(しらかわそすいとおり)沿いにその道はあります。因みに、疎水(そすい)とは他の水源から水を引く目的で造られた水路のことです。
 
約2キロあるその道は、道幅も狭く「何の変哲もない」場所ではありますが、静かに流れる白川疎水のせせらぎの音を聞きながら、随所に点在する個性ある建築物を楽しみながら歩くのも一興(いっきょう)と言えます。
https://icotto.jp/presses/6083
 
「哲学の道」終着点の先に、南禅寺があります。南禅寺の正面に、石川五右衛門が満開の桜を眺め「絶景かな、絶景かな」と見得を切る場面で有名な三門(さんもん)がそびえ立っています。
この三門に登ったことがありますが、前面に京の街を見渡すことが出来まさに「絶景かな」です。
 
祇園四条東端に祇園界隈があり、やや高台に八坂神社(やさかじんじゃ)があります。八坂神社から清水寺まで続く参道があり、散策して楽しむことが出来ます。
参道の途中に、「ねねの道」がありそれは高台寺西側を通る道で、かつては高台寺道と呼ばれていたところです。道の名前は、高台寺に祀られている豊臣秀吉の正室、北政所(ねね)に由来します。
 
清水寺の参道として、古くから賑わいをみせてきたのが二寧坂(にねいざか)と産寧坂(さんねいさか)です。
その参道は石畳で、京都らしい風情のある街並みは多くの観光客が訪れる定番のスポットとなっています。
 
二寧坂や産寧坂の周辺には、数多くの土産物店や飲食店が並んでおり、京都だからこその食べ歩きが出来て、清水寺に到着するまで「見たり聞いたり食べたり」楽しむことが出来ます。
産寧坂には、松栄堂(しょうえいどう)のお店があります。私が過去に、静座の行をおこなっていた時「香を焚い」ていたのですが、その時専ら使用していたのが松栄堂のお香です。1705年に京都で創業以来、松栄堂は300年以上京都を香りづけて来たと言われています。
 
二寧坂・産寧坂を、徒歩で約10分ほど歩くと清水寺に到着です。清水寺は、創建以来十度(回)を超える大火災にあい、そのたびに堂塔を焼失しましたが篤い信仰によって何度も再建されました。
清水寺で、最も有名な本堂の前面に張り出すように広がる舞台(ぶたい)は、京都の街を眼下にする眺めが見事で、その美しい景色は古くから人々を魅了してきた場所です。
https://souda-kyoto.jp/blog/00981.html



集合無意識と人類の歴史

未来予想は占いも含めて迷信のようで、いい加減で、信じるにたるものではないと私も思っていました。

しかし、何事によらず、盲信、固執は良い結果をもたらさないのではありますが、参考にするのは面白いと思うようになりました。

「シンクロニシティ」や「偶然はない」などを考えると、それらの解釈の参考になるのです。

昨日引用しました「水口清一メールマガジン」では、西暦2022年を2+0+2+2=6の6から、

数霊6は岐路の年として意味付けているのです。

何か胡散臭いようにも思われますが、数のイメージは人間の集合無意識に影響をもたらしているのです。

西暦は、世界中の人々の無意識の中に入り込んでいるのです。

話はそれますが、外国には日本のような年号はありませんから、令和3年に特別のイメージを持たないでしょうが、日本人は令和3年といえば、何かのイメージを持っているのではないでしょうか。

多くの人は1は始まりのだと思うでしょう。根元を意味しています。

2は、2何目、増えるイメージがあるでしょう。全ては二つ、陰と陽あるいはプラスとマイナスからできています。

3は、2から生まれます。男女から子供が生まれるように。2は3になって、安定します。三位一体や三種の神器などという言葉もあります。

4にまつわる言葉は、四方(東西南北)、四元素(地水火風)、四季(春夏秋冬)、感情(喜怒哀楽)など四つでワンセットになっています。

5はどうでしょうか。桜の花びらは5枚、5は切りの良い数字です。ごとうび(五十日)などという言葉があります。五感、五体、五本の指などのイメージです。子供は5の桁の掛け算は覚えやすいようです。(私は近くの小学校の補修授業のボランティアをやっていますが、2年生は九九を覚えます。その時わかりました。)

6は、六角形、亀の甲羅や蜂の巣のイメージです。

7は、1周間は7日間、1オクターブは7音階、ラッキー7、虹は7色など、一つの周期の終わり。

8は、8は飽和のイメージです。体操の号令、1234、5678です。

9は、1から始まった出来事が9で完成するのです。

これらの数字のイメージが人類の集合無意識に何らかの影響を及ぼしています。

これらの数字は1から9まで周期がありますから、集合無意識にも周期的な変化をもたらしているのではないでしょうか。

集合無意識は人類の歴史に影響を及ぼしているのです。


「どうなる2022年」

昨日、次のような「水口清一メールマガジン」が届きました。

興味ある内容なので、引用させていただきます。

(以下引用)

9年前から予測していた日本のリセット「2022年」がついにやってきました。

それは9年前の2013年「五黄土星」から始まっていた。
2013年は本当の意味で日本が独立した記念すべき年だったのです。


2022年は「壬寅五黄土星」で、十干十二支は60年サイクル、数霊は9年サイクルで繰り返されています。

そして180年に一度、十干十二支と数霊は全く同じ状態になります。

180年前の1842年の日本の決断が、その後の日本の明暗を分けた年です。

歴史は繰り返されると言います。

自然界はパターンで動いているからです。

もし、2022年の日本の舵取りを間違えたら、どこかの国の属国となり
何千年続いてきた日本の文化は消滅するに違いありません。


今回の「どうなる2022年」は人間界から離れて天地の見えない法則から
日本の未来を洞察してみようと思います。


人間は本来自然から発生したことを忘れてしまっています。
人間は傲慢だから自然を支配しようとあくなき挑戦をしています。


しかし、人間は宇宙自然界の手のひらの上に乗っているに過ぎません。
それは歴史の流れを観察してみればよくわかることです。


春が来れば夏が来るように歴史は循環しています。


人間の寿命はたかだか100年足らずなので、何万年の宇宙の動きがわからないだけです。


そういう意味で今回の「どうなる2022年」は人間界から離れて天地の見えない法則から世界や日本の未来を洞察してみようと思ったわけです。


2022年はそれほど天地がひっくり返るほどの分水嶺になる年だからです。

未来の時を読み、新しい生き方の知恵を身につけなければ、大海に浮かぶ小船のような存在になりかねません。


未来を的確に読める人など誰もいません。
歴史に学び自然の法則をヒントに未来を読み解くしかありません。


今回は講演の性格上、講演の録画はございません。

これもまた一つに出会いです。


あなたとのご縁が生まれることを願ってやみません。
2022年が豊かで幸せでありますようにお祈り申し上げます。


お申し込みと詳細は以下のURLをクリックして下さい。

https://mail.omc9.com/l/03o0A6/u6P1xKep/


(以上引用)


石法如来の特別寄稿:大学通信教育(その5)

スクーリング参加中、時間を見つけては見所満載の京都市街どこに行こうかと思案します。・・・私が住む、東本願寺付近の詰所から東側に1キロ程離れた場所に、三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)という有名なお寺があります。
https://butsuzolink.com/sanjusangen-do/
 
宿坊(しゅくぼう)から近いので、三十三間堂は何度も足を運んだことのある場所です。中に入って、一番目を引くのは中央本尊千手観音坐像(ほんぞんせんじゅかんのんざぞう)を安置するその左右に、10段の階段状の長大な仏壇がありそこに千手観音立像1,000躯(く・からだ)が配され、その荘厳勇壮さに思わず息を呑んでしまいます。
 
三十三間堂で有名なのは、桃山時代に行われ始めたという「通し矢(とおしや)」です。・・・江戸時代には各藩の弓術家により本堂西軒下(長さ約121m)で矢を射る「通し矢」の舞台となり、京の名物行事となったそうです。縁の北端に的を置き、縁の南端から軒天井に当たらぬよう矢を射抜く「通し矢」は、「軒下を通す」ということから来ています。
 
強弓を強く射なければ到底軒下を射通すことができないので、それゆえ弓術家の名誉となったと伝えられ、最高記録は江戸時代の18歳の少年、和佐大八郎の総矢13,053本、通し矢8,133本で、まさに驚異的な記録といえます。
 
佛教大学の近くには、有名な金閣寺(きんかくじ)があります。大学から、西に1キロほど離れた位置にあり、気分転換を兼ねて歩いても行ける距離です。
金閣寺は、正式には北山鹿苑禅寺(きたやまろくおんぜんじ)であり、この寺名は釈迦(しゃか)の最初の説法の場所であるサールナート(鹿野苑・ろくやおん)から取ったものと言われています。
 
同記事(その4)では、貸し自転車に乗り大学まで通学した話を書きましたが、ここでは帰路(帰り道)について少し書いて見ます。
往路の最後は上り坂で大変だったのですが、帰路は逆に下り坂でとても楽です。むしろ、スピードが出すぎるので自転車の操作には一層の慎重さが求められます。
 
往路は、五条通りから烏丸(からすま)通りを北上し今出川(いまでがわ)から左折し堀川通りに入り、堀川北大路から左折し北大路通りを直進し千本北大路まで行き、そこを右折すれば佛教大学はすぐ近くでしたが、復路はコースが変わります。
 
千本北大路までは同じで、そのまま真っ直ぐに千本通りを南下します。千本今出川(せんぼんいまでがわ)から更に南下し、千本丸太町から左折堀川丸太町を目指します。
堀川丸太町を目指して走っている間に、有名な二条城が目に入ってきます。二条城の区域に入ると、広大なお堀があり四隅に立つ櫓(やぐら)が印象的です。
https://www.jalan.net/news/article/577668/
 
二条城を実際拝観すると、勇壮ななかに絢爛豪華さがあり古(いにしえ)の建築物の素晴らしさを学ぶことが出来ます。二条城と言えば、やはり大政奉還の場という印象が強いですが、実際に行ってみると(当時そのままに)人形を配しその時の模様を見れば分かるよう演出されています。京都に行かれたら、外したくない観光ルートの一つです。
                           
自転車通学している間に、ちょっとした発見がありました。その発見というのは、私が発見したのではなく同じように自転車通学していた仲間が、学校までの進路上で発見したのです、
その発見というのは、「紫式部の墓」を見つけたということでした。実際、通学途中コースを変更し見に行くと、建物の間の路地を数メートル奥に入った位置に確かにありました。
                                   
 
そのお墓は、堀川北大路の交差点の近くにあり静かにしっそりと存在していました。その模様を書いたブログがあり、それを読んでみると「墓所は、島津製作所の敷地に食い込むように存在していますが、堀川通から入れるし、工場の敷地とはつながっていないので、普通に観光することができます。」と書かれています。
https://osumituki.com/kyotokanko/95963.html
 
紫式部の名前は有名ですが、その墓所はあまり有名ではありません。また、紫式部の墓の真横になぜか「小野篁(おののたかむら)」の墓があるのです。小野篁は、「六道珍皇寺の井戸から冥土へ通っていた」とされる役人で、夏の京都を扱う異世界ツアーなどの番組では常連とも言える人物です。その有名な二人のお墓が、京都市北区の「堀川北大路」にあり私の自転車通学の途上に存在したのです。



合気についてコメント

昨日のブログ記事「日本語48音の『あいうえお』と合気道」に対して、

和尚さんから次のようなコメントを頂きました。ありがとうございます。

(以下引用)

 合気を識るには『日常生活の中で

あなたが✡心地良さを「感じている」

✧✧✧小さな行為を意識的に味わい抜く』ことだ。


 あなたが、朝飲む一杯のお茶を「ゆっくり味わい」、

心地よいと感じる音楽に「浸り」、

近くの公園の木々の新緑の「気を感じながら香りを嗅ぎ」、

お風呂に入り「寛ぐ感覚」。


 これら『「歓びに満ちた体感」を

全心身の意識の眼で感じ、ただ観る』こと。

 あなたが『今、自分は苦しいと「思っている」

環境の中にいても、

溢れる歓びの光がいつでも世界から

あなたを祝福している』奇跡を識るだろう。


 やがて、あなたは自然に手を合わせ

✧✧✧✧✧『自分が消えた感謝と一つになる』。


 その時あなたの✡「あらゆる恐れも願望は消えて」、

歓びの光が大いなる存在とともに

『あなたのハートの願い、幸せで在る道』を照らしている。


 『思考願望の存在しない合気を体感する』だろう!


(以下引用)

合気についてわかりやす解説ですから、学んでください。

日常生活のいつもの行動の中で、心地よさを感じるということは、

落ち着いていて、それに満足を感じなければできません。

もしそれができなければ、それを妨げているものか何かに気づいてください。

それは決してあなたの外にあるものではありません。

それが自分の内にあると理解できれば、その時どれは消えるでしょう。



日本語48音の「あいうえお」と合気道

先月11月24日に「日本語48音からなる歌や祝詞」について書きました。
https://76263383.at.webry.info/202111/article_25.html

日本語の48音には一音一音に意味があるということのみならず、

一音一音には思念があり、力を持っていることを示している動画がありましたので紹介します。

「あいうえお」で強くなる?【カタカムナ、言霊、合気道】
https://www.youtube.com/watch?v=ADSh4aUhD4Q


合気道については、ウイキペディア「合気道」に、その理念・精神性の項に次の文章がありましたから、引用します。

(以下引用)

武術をベースにしながらも、理念としては、武力によって勝ち負けを争うことを否定し、合気道の技を通して敵との対立を解消し、自然宇宙との「和合」「万有愛護」を実現するような境地に至ることを理想としている。

主流会派である合気会が試合に否定的であるのもこの理念による。

「和の武道」「争わない武道」「愛の武道」などとも形容され、欧米では「動く禅」とも評される。

(以上引用)

というわけで、合気道の修行は覚りに向かう修行者にも参考になるものです。

また、合気道は頭で考えて習得するというののではなく、身体で体得するという点も参考になります。

その合気道の修行において、「あいうえお」で強くなるということも面白いといえます。



石法如来の特別寄稿:大学通信教育(その4)

スクーリングの参加すると、色々な方に出会います。・・・2回目のスクーリングに参加したとき、仙台から参加のSさんが近傍の貸し自転車店から自転車を借りてきました。
「これは良い」と言うことで、仲間数名が同じように貸し自転車を借りて通学するようになります。
 
京都の街は、電車がなくほとんどバスによる移動です。それはそれで楽しいのですが、運動も兼ね自転車通学を行うことにするのですが、難問がいくつかあります。
佛教大学は、京都の北側・金閣寺近くの紫野(むらさきの)という場所にあり、私の住む詰所から約8キロ離れた位置にあります。
 
最後、3キロほどは登り斜面でかなり体力的にきついと言うのがその難問で、次に京都の暑さです。・・・京都は、盆地なので夏はとても暑く北海道から参加の自分にはかなりきついのです。最後当然ですが、時間に余裕を持っていかないと授業に間に合わないということで、のんびりしている暇はないと言うことです。
 
校舎に到着したら、駐輪場に自転車を止め汗を拭き着替えをし教室に向かいます。授業により教室は変更しますから、事前にしっかり教室を把握していなければいけません。
通信教育で面白いのは、早く来た人が必ず前の席に座ると言うところです。これについては、大学の先生方も「通学生は後ろから席から埋まり、通信学生は前の席から埋まる」と言っておられました。
 
折角、遠い地方から勉強に来ているのだから、前の席でしっかり授業を聞こうという態度です。その頃の通信教育学生は、その単位科目が終わった後「科目最終試験」を受けるのではなく、科目における最後の授業時間の終わり間近に問題を付与され、解答を決められた期日(大体、10日後位)までに原稿用紙6枚ほどに纏め(学校宛)報告しなければいけないことになっていたのです。
 
期日までレポートを提出しなければ、その時点で単位取得は不可能になり、提出したレポートもA~Cランクは合格、Dランクだと不合格となります。
それまでのように、授業終了と共に科目最終試験があるならある意味一発勝負で、担当の先生のお情けにすがると言うこともない訳ではありませんが、レポート提出という「はっきりした形」になっていますから、何が何でもレポートを提出せねばならず、自ずと授業態度も真剣になるという訳です。
 
授業中、私を含めて寝ている人間は一人もいません。単に、授業に参加すれば良い訳ではないので参加学生は全員真剣です。
周りで、会話をしている生徒もおりません。本当に、絵に描いたような授業風景ですが、それは4年間ずっと変わらない風景でした。
 
スクーリング参加者の、何パーセント卒業までたどり着けたかは不明ですが、仕事をしながら勉学に励むという姿勢は素晴らしいものと感心しました。
 
大学2年目以降、佛教大学の教授陣から専門分野の講義を受けるのですが、一番印象に残っているのは大乗仏典における「空」思想研究の第一人者である梶山雄一(かじやまゆういち)教授です。なぜ印象に残っているかと言えば、授業中発した言葉を日本語で黒板に書いたのですが、字(漢字)を間違えて書くという場面がありました。
 
梶山教授は、間違いに気づきすぐに正しい漢字を書いたのですが、その時に「このとし(年齢)になると、漢字忘れるんだよね。向こうの言葉(パーリ語かサンスクリット語)は忘れないんだけど・・・」と仰ったからです。
その頃、先生の年齢は70歳代で京都大学を退職後に佛教大学に来られ教鞭を執っておられました。
 
昼休みなどに、授業してくれた教授の部屋に遊びに行く機会がありました。・・・校舎とは別棟に教員の研究室があり、表に名札が掛かっています。名札の下には、「在室・不在」の表示があり、中に先生がいるかどうかすぐ判別出来ます。
部屋の中は、横長の15畳位の広さで壁一面に仏教の関係書籍がびっしり並べられています。教授との会話よりも、これ位勉強しないと大学教授・助教授にはなれないのだと感心したことを覚えています。


「神様が見える子供たち」の解釈

「神様が見える子供たち」の動画を2本紹介しました。

昨日ごとうさんから、次のようなコメントを頂きました。ありがとうございます。

(以下引用)

「あきらめない人のジェスチャー」が、まさに自分が漫画家を目指して頑張っていた時の姿だなぁとしみじみとしました。

大変感慨深く、教えられました。
すっごくおもしろかったです。
こんな存在がこの世に存在することの驚きをありがとうございました。

あきらめる=自由
まさにパラダイスシフト。
ゆっくり地殻が動くように、ずるりずるりと意識が(無意識が)変わりそうです。」

(以上引用)

この通りで、彼らのメッセージは「真理」と言ってもいいものです。

それらを素直に受け止めてもいいものだと思っています。

しかし、ここで少し考えましょう。

この子たちは本当に神様が見えるのでしょうか?

本当に神様が見えているかどうかわかりませんが、夢の中などでは見ているのでしょう。

彼らは、それを確信しているのようです。

私の解釈は、次の通りです。

彼らのお母さんは、病気や子育てやその他のことで、いろいろ悩み、人生や心のことを考えて、
学んだものと思います。

そして、それなりの考え方を得て、子供たちをのびのびと育ていたようです。

その過程で、お母さんの潜在意識が子供たちの潜在意識に影響を及ぼしているように思います。

お母さん自身もそのことを自覚しておられないようですが、

お母さんも子供のに影響を与えた潜在意識を子供の口から聞いて、

そこから学ぶというようなことをしているように思います。

母親が子供たちの潜在意識に与える影響は強く、どんな子供もその影響を受けます。

それを妨げることはできません。

しかし、その事実をいずれ自覚しなければ真の大人になりません。

お母さんの潜在意識に拘束されたままの大人になってしまいます。

この動画のようなケースは、あまりネガティブに作用しないでしょうが、

学校や社会に出て、そこで不適合になるおそれはあります。

例えば、いじめなどにあった場合にそれに気づく必要があります。

彼らの家族は神社のようですから、神主さんになるようなことがあれば、問題は少ないかもしれません。

しかし、問題があれば、それを契機にして、覚りに向かうこともあるでしょう。