石法如来の特別寄稿:大学通信教育(その5)

スクーリング参加中、時間を見つけては見所満載の京都市街どこに行こうかと思案します。・・・私が住む、東本願寺付近の詰所から東側に1キロ程離れた場所に、三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)という有名なお寺があります。
https://butsuzolink.com/sanjusangen-do/
 
宿坊(しゅくぼう)から近いので、三十三間堂は何度も足を運んだことのある場所です。中に入って、一番目を引くのは中央本尊千手観音坐像(ほんぞんせんじゅかんのんざぞう)を安置するその左右に、10段の階段状の長大な仏壇がありそこに千手観音立像1,000躯(く・からだ)が配され、その荘厳勇壮さに思わず息を呑んでしまいます。
 
三十三間堂で有名なのは、桃山時代に行われ始めたという「通し矢(とおしや)」です。・・・江戸時代には各藩の弓術家により本堂西軒下(長さ約121m)で矢を射る「通し矢」の舞台となり、京の名物行事となったそうです。縁の北端に的を置き、縁の南端から軒天井に当たらぬよう矢を射抜く「通し矢」は、「軒下を通す」ということから来ています。
 
強弓を強く射なければ到底軒下を射通すことができないので、それゆえ弓術家の名誉となったと伝えられ、最高記録は江戸時代の18歳の少年、和佐大八郎の総矢13,053本、通し矢8,133本で、まさに驚異的な記録といえます。
 
佛教大学の近くには、有名な金閣寺(きんかくじ)があります。大学から、西に1キロほど離れた位置にあり、気分転換を兼ねて歩いても行ける距離です。
金閣寺は、正式には北山鹿苑禅寺(きたやまろくおんぜんじ)であり、この寺名は釈迦(しゃか)の最初の説法の場所であるサールナート(鹿野苑・ろくやおん)から取ったものと言われています。
 
同記事(その4)では、貸し自転車に乗り大学まで通学した話を書きましたが、ここでは帰路(帰り道)について少し書いて見ます。
往路の最後は上り坂で大変だったのですが、帰路は逆に下り坂でとても楽です。むしろ、スピードが出すぎるので自転車の操作には一層の慎重さが求められます。
 
往路は、五条通りから烏丸(からすま)通りを北上し今出川(いまでがわ)から左折し堀川通りに入り、堀川北大路から左折し北大路通りを直進し千本北大路まで行き、そこを右折すれば佛教大学はすぐ近くでしたが、復路はコースが変わります。
 
千本北大路までは同じで、そのまま真っ直ぐに千本通りを南下します。千本今出川(せんぼんいまでがわ)から更に南下し、千本丸太町から左折堀川丸太町を目指します。
堀川丸太町を目指して走っている間に、有名な二条城が目に入ってきます。二条城の区域に入ると、広大なお堀があり四隅に立つ櫓(やぐら)が印象的です。
https://www.jalan.net/news/article/577668/
 
二条城を実際拝観すると、勇壮ななかに絢爛豪華さがあり古(いにしえ)の建築物の素晴らしさを学ぶことが出来ます。二条城と言えば、やはり大政奉還の場という印象が強いですが、実際に行ってみると(当時そのままに)人形を配しその時の模様を見れば分かるよう演出されています。京都に行かれたら、外したくない観光ルートの一つです。
                           
自転車通学している間に、ちょっとした発見がありました。その発見というのは、私が発見したのではなく同じように自転車通学していた仲間が、学校までの進路上で発見したのです、
その発見というのは、「紫式部の墓」を見つけたということでした。実際、通学途中コースを変更し見に行くと、建物の間の路地を数メートル奥に入った位置に確かにありました。
                                   
 
そのお墓は、堀川北大路の交差点の近くにあり静かにしっそりと存在していました。その模様を書いたブログがあり、それを読んでみると「墓所は、島津製作所の敷地に食い込むように存在していますが、堀川通から入れるし、工場の敷地とはつながっていないので、普通に観光することができます。」と書かれています。
https://osumituki.com/kyotokanko/95963.html
 
紫式部の名前は有名ですが、その墓所はあまり有名ではありません。また、紫式部の墓の真横になぜか「小野篁(おののたかむら)」の墓があるのです。小野篁は、「六道珍皇寺の井戸から冥土へ通っていた」とされる役人で、夏の京都を扱う異世界ツアーなどの番組では常連とも言える人物です。その有名な二人のお墓が、京都市北区の「堀川北大路」にあり私の自転車通学の途上に存在したのです。