#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第32章 修行僧 44偈〜47偈

44 生存に対する妄執を滅ぼし、実体についての固執を絶ち切った修行僧にとっては、生まれをくり返す輪廻が滅びている。この人は悪魔の絆(きずな)から解き放たれている。

45 生存に対する妄執を滅ぼし、実体についての固執を絶ち切った修行僧にとっては、生まれをくり返す輪廻が滅びている。今や迷いの生存を再び繰り返すことがない。

46 生存に対する妄執を断ち切り、実体についての固執を絶ち切った修行僧にとっては、生まれをくり返す輪廻が滅びている。この人は悪魔の絆(きずな)から解き放たれている。

47 生存に対する妄執を断ち切り、実体についての固執を絶ち切った修行僧にとっては、生まれをくり返す輪廻が滅びている。今や迷いの生存を再び繰り返すことがない。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

40偈、42偈では「心が永久に静まり、」、43偈、44偈では「心が煩悩に汚れていないで、」である部分が、今回の44偈、45偈では「生存に対する妄執を滅ぼし、」になっており、また46偈、47偈では「生存に対する妄執を断ち切り、」になっています。

「生存に対する妄執を滅ぼし、」と「生存に対する妄執を断ち切り、」とは、ほぼ同じ意味ですので、まとめてコメントします。

ブッダは、同様の事柄を何故いろいろな言葉で説かれるのでしょうか?

それは人はそれぞれ別の個性を持っているからです。同じ人間は過去にも、現在にも、未来にもいないのです。

人はそれぞれ違いますから、「生存に対する妄執を滅ぼし、」という言葉が心に響く人と、「生存に対する妄執を断ち切り、」が心に響く人がいるのです。

ブッダの言葉で、心に響き、心が変わらなければ意味がありませんから、ブッダはいろいろな言葉で説法するのです。

さて、今回のテーマ「生存に対する妄執」とは、なんとしても生きていたいとい生命の本能です。なぜ生きていたいのかわからなくとも生きていたいと思っているので、妄執というのです。

なんとしても生きていきたい理由が解ったとき、妄執は消えます。

なぜ生きたいのか解ったときは、答えが解ったときなのです。もうそれで満足です。すべてが楽しく、もういつ死んでもよいと思えます。

そうすると、なんとしてでも生きていたいと思いません。もちろん来世など望みません。




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