#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第32章 修行僧 49偈〜53偈

49 泥沼をわたりおわって、村の棘(とげ)を粉砕し、憎しみを滅ぼすに至った人、___かれこそ<修行僧>と呼ばれるのである。

50 泥沼をわたりおわって、村の棘(とげ)を粉砕し、迷妄を滅ぼすに至った人、___かれこそ<修行僧>と呼ばれるのである。

51 泥沼をわたりおわって、村の棘(とげ)を粉砕し、慢心を滅ぼすに至った人、___かれこそ<修行僧>と呼ばれるのである。

52 泥沼をわたりおわって、村の棘(とげ)を粉砕し、貪ぼりを滅ぼすに至った人、___かれこそ<修行僧>と呼ばれるのである。

53 泥沼をわたりおわって、村の棘(とげ)を粉砕し、愛執を滅ぼすに至った人、___かれこそ<修行僧>と呼ばれるのである。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

今回の49偈から53偈は、昨日掲載した48偈の一語のみを変えた同文です。48偈の「情欲」という言葉が、それぞれの偈で、憎しみ、迷妄、慢心、貪ぼり、愛執に変わっています。

このようの形式の偈群は、第31章 心の11偈から16偈、及び17偈から22偈にありました。それらの偈のコメントで、情欲、憎しみ、迷妄、慢心、貪ぼり、愛執の説明をしました。

第31章11偈のアドレス
https://76263383.at.webry.info/202002/article_13.html

最後の、第31章18偈から22偈の解説記事で、それらの煩悩をまとめています。
https://76263383.at.webry.info/202002/article_20.html

参考のために、一部を引用します。
(以下引用)

情欲、憎しみ、迷妄、高慢、貪り、愛執をまとめて考えると、大変だと思うでしょうが、心にこれらがすべて、一緒に現れるわけではありません。時々、それらが一つ一つ現れるのです。それらのどれかが現れた時、それらに対する考え方を変えるのです。

まずは、それらが現れたことに、気づくことが大切です。いろいろな気づき方があるでしょうが、わたしの場合はつぎのように考えました。

情欲・・・・それはそれほど必要なもの?
憎しみ・・・それは相手のせいなの?
迷妄・・・・どうしようかなと迷っている?
高慢・・・・自分は嫌な奴じゃない?
貪り・・・・満足してないの?
愛執・・・・それは自分のものと言える?


(以上引用)




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