#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第32章 修行僧 54偈

54 村の棘(とげ)に打ち勝ち、罵りにも殺害にも拘禁にも打ち克ち、山岳のように確立していて不動であり、苦楽に悩まされないならば、かれは<修行僧>である。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

「村の棘(とげ)」について、48偈で訳者は、「諸感官を刺激するもの」と注釈してありましたが、
そのように解釈すると、心の対象のように理解されます。ですが、心の内部の障害と理解すべきなのです。

「罵りにも殺害にも拘禁にも打ち克ち、」・・・罵り、殺害、拘禁は、他人からされたことではありますが、それらに打ち克ちとは、罵り返すことや殺害し返すことや拘束から逃れることではなく、罵りに動じない、殺害を苦と思わず、拘禁されても拘禁とは思わず、それでも自由でいられることです。

なぜ、そのようなことができるのか? 罵りを罵りと思っていないからです。あの人はそのように思っているのだなと思っているだけなのです。罵るのは彼の自由だと思っているのです。殺害には、自分という思いがないからです。自分という思いがあれば、その時、恐怖や怒りが現れるでしょう。拘禁されても、瞑想している時と同じなのでしょう。身体が拘禁されても、心は自由なのです。むしろ凡夫は拘禁されてなくとも、心はいつも何かに拘束されていて、不自由なのです。




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