SRKWブッダ著「仏道の真実++」【功徳のよすが】(5)

(以下引用)

【功徳のよすが】(5)

 ● サンガ(僧伽)の存在が前提であるが、功徳を積むには出家がすぐれている。

しかしながら、それは家出であってはならない。ここで言う家とは、こだわりの総体を指す。

出家とは、自分の趣味の世界から出て浄らかな集いに住み処を移すということである。

また、家出とはこだわりを心に残した上で家を出ることをいう。

趣味の世界を離れていないので、功徳を積むために行うべきことがらが苦に帰着してしまう。

要するに、気持ちは出家でもそれが家出であるならば本末転倒ということである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

50歳の頃、千葉県市川市にある道元サンガという曹洞宗系の禅道場に毎週一回通っていました。しかし、道元禅は修行こそが悟りであり、あえて悟りを求めないという立場でした。悟りを求めることはむしろ邪道である考え方でした。私は悟れるものならば悟りたいと考えていましたから、その立場に不満を感じて、3年ほどでそこを止めました。

当時出版された「『悟り』の意味」といういう本を読み、また著者の島田明徳という方の道場が近所にあったという縁もあり、その道場に通い始めました。そこで8年ほど修行したのですが、修行がマンネリになり、あらたな境地を求めていました。

そのころは岩波文庫で「ブッダのことば」を読んでいましたが、その中につぎのような言葉がありました。

「譬えば青頸の孔雀が、空を飛ぶときは、どうしても白鳥の速さに及ばないように、在家者は、世に遠ざかって林の中で瞑想する聖者・修行者に及ばない。(スッタニーパータ221)」

つまり、在家での修行は出家の修行に及ばないという意味です。すなわち、「功徳を積むには出家がすぐれている。」ということです。

そこで、2004年60歳の時に、日本の大乗仏教の僧侶よりは厳格に戒律を守っていると思われていたテーラワーダ仏教の比丘(僧侶)として出家しました。

その後2016年12月15日に比丘をやめて、いわゆる出家をやめることになることになるのですが、その頃の事情は当時のこのブログ記事に書いてあります。

この私の文章がコメントになるのかといえば、出家して修行するも、在家で修行するも、各自の心構え次第ということです。




"SRKWブッダ著「仏道の真実++」【功徳のよすが】(5)" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント