SRKWブッダ著「仏道の真実++」【公案】(3)

(以下引用)

【公案】(3)

 ● 自分自身、公案が解けたことを喜んではならない。

そして、公案が解けたことを喜ばない(歓喜しない)人こそが、本当の意味で公案を解いたのである。

これは、公案が解けたという事実が、修行が進んだことを示すものとはならないことによるものである。

すなわち、公案は功徳を積んでいることについてのバロメーターに過ぎないからである。

公案が対象としていることがらが何であるのかが分かっていれば、その公案は直ちに解ける。

解けたならば、そのことについて完全に分かっていることが示されたということに過ぎない。

例えば、食事が美味しく頂けることは、健康の一つのバロメーターであるといわれる。

要するに、健康であればそれが当たり前ということである。

同様に、功徳を積んだ人にとっては、公案は当たり前に解けることなのである。

そして、それ以上のものではない。

(以上引用)


*法津如来のコメント

「同様に、功徳を積んだ人にとっては、公案は当たり前に解けることなのである。」この言葉は誤解を招くおそれがあるので、注意したほうがよい。

私は解脱したから功徳を積んでいるはずであります。しかし、公案は当たり前には解けてはいません。

実は、私は解脱知見を得たとき、公案の正解を求めようという執著がなくなりました。


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