SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(7)

(以下引用)

【経典の読誦】(7)

修行者は、最初のうちは経典を読んでもちんぷんかんぷんかも知れない。なぜならば、真のやさしさは世俗のそれとは趣が異なっているからである。ある人は、次のような感想を持つかも知れない。

「確かにやさしいが、それが究極のやさしさであるというのがピンと来ない」

この点については、次のような譬えが役に立つかも知れない。

 ● 味噌汁が美味なのは、実は出汁の威力である。ところが、出汁そのものを単独で味わってもそれほど美味しいとは感じない。その理由は、出汁は具材の旨みを極限まで引き立てる役割を果たすものであって、他の具材と味を競うものではないからである。もちろん、味がぶつかったりすることもない。智慧も同様である。智慧の言葉そのものは、どうという言葉ではない。ところが、そのシチュエーションにおいては素晴らしい働きを示すものとなる。他の言葉と相まって、真実のやさしさの何たるかを示すものとなるからである。

 ● お汁粉に一撮みの塩を加えると甘みがいや増す。もちろん、塩が甘いわけではない。お汁粉に入れた塩が突然甘さに変じるわけでもない。塩は、甘さを引き立てる役割を果たすのである。お汁粉に塩ではなく別の甘さを加えても、塩を加えたような上品な甘さにはならない。ここにおいて、引き立て役としての塩の威力を知ることになる。法の句の不可思議も同様である。世の賢者をすべて集めても、法の句を作り上げることはとてもできない。そのような、まさかの言葉が法の句に他ならないからである。

このように、ある種の威力あるものは単独ではその素晴らしさが判然としない。しかし、実際に用いればその威力の程が明らかとなる。同様に、真のやさしさも衆生には特別なものとは映らない。ところが、世間のやさしさがお涙頂戴に過ぎないのに対して、真のやさしさは人を目覚めさせる機縁となる大威力がある。これによって普通の人がブッダとなるからである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

「究極のやさしさ」とは、出汁やお汁粉に加える一撮みの塩のようなものなのですね。

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