SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(1)

(以下引用)

この世の最大の不可思議は、衆生の心がその己の心を滅することを欲し、実際にそれをこの名称と形態(nama-rupa)の終滅という形で実現し、しかしそれによって作仏してニルヴァーナに至るという事実である。ただし、不可思議はそれだけではない。

さて、この世にはいろいろな不思議があると人々に周知されていることがあろう。例えば、超常現象や神秘体験に関わるようなことがら、また共時性(シンクロニシティ)として知られる単なる偶然では説明し難い一致などである。ただし、これらの多くは現代科学によって合理的に説明することができるようになり、その一部はトリックやイリュージョンに過ぎなかったということが明らかとなった。要するに、そのようなものは元々、不可思議でも何でもなかったということである。

では、本当に不可思議なことが存在するとすれば、それはどのようなことがらなのであろうか。

真の不可思議は、見せ掛けの不思議とは趣きを異にするものであり、超えたものである。そして、その多くは広がりの意識に基づいて起こることがらであると推定されるものである。人々には広がりの意識の全体像が見えないので、まるで脈絡なく生じる現象や結果だけを見てとても不思議なことに感じる——実際には、不思議だと感じないほど不思議な現象として映る——わけである。また、不可思議の別の基としては、予め積まれた功徳や宇宙時期の把捉などが指摘できよう。

ところで、本当に不可思議なことは、この世の一切を知見している仏から見ても不可思議なことであるので敢えて不可思議と称するのである。逆に言えば、世間の通常の不思議は、ブッダにとっては別に不可思議とは映らないということでもある。

以下に、そのような本当の不可思議について述べたい。

なお、この不可思議は覚った人に固有の現象ではなく衆生にも起こるものである。すなわち、ブッダ自身に奇跡を起こす特殊な能力があるわけではないということである。そうは言っても、不可思議の真実を知らない人から見たときには、ブッダには何か特別な力があるように感じるかも知れない。そのような思い込みを払拭するためにも、詳細な説明を加えておきたい。

(以上引用)


*法津如来のコメント

今日から【不可思議】の章を6回に分けて引用します。

SRKWブッダは、「この世の最大の不可思議は、衆生の心がその己の心を滅することを欲し、実際にそれをこの名称と形態(nama-rupa)の終滅という形で実現し、しかしそれによって作仏してニルヴァーナに至るという事実である。」と言われます。

また、「本当に不可思議なことは、この世の一切を知見している仏から見ても不可思議なことであるので敢えて不可思議と称するのである。逆に言えば、世間の通常の不思議は、ブッダにとっては別に不可思議とは映らないということでもある。」とも言われます。

それは何故でしょうか?

例えば、電磁波があるので、現代では地球上どのような場所でも音や映像を聞いたり見たりすることができますが、電磁波を知らない人には不可思議と言えないのですが、電磁波の存在を知っている人には不可思議ではないのです。

同様に、ブッダは「広がりの意識」の存在を知っているので、世間の通常の不思議はブッダにとっては別に不可思議とは映らないということもあるのです。

また、そのことがわかれば、ブッダ自身に奇跡を起こす特殊な能力があるわけではないということもわかります。

次からは、ブッダから見ても不可思議なことについて引用します。


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