SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(13)

(以下引用)

【女性の修行(その1)】(13)

 ◇ 皆に好かれたい

 皆に好かれたいという気持ちが強い人があるかも知れない。裏返せば、誰にも嫌われたくないということであろう。

 しかしながら、誰にも嫌われることがないというのはさすがに不可能である。なぜならば、人々には好き嫌いの感情があり、意に沿わなければ嫌いと判断されてしまうものだからである。また、相手のことを良く知らないにも関わらず見た目の印象や何某かの噂を聞いただけで嫌う人もある。これはもちろん、好きということについても同様の構図である。

 では、首記の願いは叶わないのであろうか。確かに、この言葉通りのことは叶いようがない。しかしながら、別のことであれば実現することができるのである。それは、

 「他ならぬあなたが、誰も嫌わないこと」

である。そして、実はこれこそが仏道を歩む目的に他ならないのである。そして、これを実現したとき、そもそも皆に好かれたいなどということを願うことが無くなった自分自身を発見することになるのである。ここにおいて、人間関係の悩みは完全に解決されることとなる。

 ところで、親心という言い方があるであろう。これは、実際には自分の子が可愛いということであり、裏返せば他人の子は憎たらしいということでもある。ところが、ある人は子供に恵まれないにも関わらず、他人の子を見て可愛く見えると言うのである。そして、そのような人こそ真の親心を知る人であると言えよう。なぜならば、かの人は世のすべての子供が可愛いと思える人だからである。親心の本来のすがたは、このようであるべきであろう。同様に、修行完成者の目には世のすべての人々がまるで自分の子供のように見える。実際には、自分の子供と区別をつけず同じように対応するようになる。この意味において、この世に嫌いな人は誰一人いないと言うのである。

 この世には、実現できることとできないこととがある。願うならば、実現可能なことを求めるのが良いであろう。あることがらは、巡り巡って首記の願いを解決するものともなるのである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

「皆に好かれたい」を、少し視点を変えて、「世界中の人々が皆に好かれたいと思ったらどうなるか?」についいて考えてみましょう。

そうならば、世界中に誰も好かれる人はいなくなります。

説明するまでもなく、世界中に好かれたいと思う人がいるだけで、好きになる人がいなのですから。

他人の気持ちを自分の気持ちで勝ってに変えられませんが、自分の気持ちは自分で変えることはできます。

「皆に好かれたい」ではなく、「皆を好きになる」ことはできるのです。

なぜならば、(SRKWブッダのホーム・ページ「理法:信」より引用)

「○ 人は実はやさしい 

たといある人がどんなに冷たく、意地悪に見えたとしても、かれは実はやさしいのだということを信じるべきであると真実を知る人は語るのです。なんとなれば、人(=衆生)は誰しも、自分ならざるもの(名称と形態(nama-rupa))に突き動かされている存在であり、本来の自分(本性)を出せないばかりか、善かれと思って愚かな選択をしてしまうのであるからです。そして、誰であろうとも、同じ状況におかれたならば、かれと同じ行動を(善かれと思って)選択してしまうに違いないと言える」からです。

http://srkw-buddha.main.jp/rihou016.htm


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