石法如来の特別寄稿「真実はどこに?(その9)・・・見えるものと見えないもの。」

アメリカ大統領選挙を主題材に、この世の虚妄について考え色々書いて参りました。書き進めた動機は(その1)で少し触れたように、私自身毎日虚妄なるものを見(観)て、非常に分かりやすい日常の展開(事象)は、修行の参考になるであろうと考えたからです。

分かりやすく理解しやすい事象であるが故に、「それを、そうである」とたしかに認識・認知する力を持つ(あるいは、持っている)ならば、仏道の修行にもすんなり入っていけるでしょう。
反面、何の疑問・問題意識を持たずに時の流れに身を任せて生きるなら、仏道の修行どころか自分自身の人生に意味を見いだすのも難しいと言えます。

そもそも虚妄とは、「事実でないこと。うそいつわり。」(goo辞典から引用)とあります。自分の生きている世界の中に、果たして真実はあるのか?・・・その様な疑問が、ふと頭の中に生じることが大切なのです。もしかしたら、大部分の人間(衆生)は日常が当たり前すぎて、その様な疑問すら抱くことが無いかも知れません。

人生という、貴重な時間を過ごす中で起きていることの大半が、もし「虚妄」の連続であるなら、自分自身の人生とは「嘘で塗り固められた人生」であったという結論に至り、後で振り返り自分自身の人生を後悔することは火を見るよりも明らかです。

何より、仏道修行において覚りにいたる基本的な心構えは、「覚りは、虚妄ならざるものである。」という強い信念と自覚があるかと言うことです。覚りそのものを疑っているようでは、覚りに到達することなどあり得ません。
また、それを論ずる前に自分自身の生活の中で「虚妄である・虚妄では無い」と、しっかり判断出来る明知を備えていなければ話にはなりません。

特に、人々(衆生)の生活に大きな影響を及ぼすマスメディアの報道の姿勢が、人々の意識形成に非常に大きなウェイトを持っています。
彼らが、情報をしっかり調査・判断・精査し人々に正しい情報を報道しなければ、「全てが間違って」しまいます。こんな、当たり前のことが果たして実際に行われているのか?そこに疑問を持たなければいけないのです。

因みにマスメディアとは、「「マス=大衆」に対して情報伝達をする「メディア=媒体」のこと。 具体的には、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどの媒体を指す。」(「広告用語辞典」を参考)とあり、大衆に対する情報伝達の責任を負っています。

情報伝達の責任とは、どこまでも正しい情報の伝達でなくては意味がありません。今回の一連の記事を書くうえで、知人などと話をして実感したのは「間違った情報を、いくら数多く集めても真実には到達しない」という真理です。

マスメディアが正しい報道を出来るかどうかは、ジャーナリスト(新聞記者、報道記者)の力によるところが大きいのですが、そこには正しい情報伝達を担っている人間としての使命感・倫理観が求められます。

私の場合、あまりテレビは見ず新聞もしっかりとは読まない方ですが、特にテレビでは大勢意見に対して反対・批判(所謂、異論)を述べるコメンテーターが少なくなり、大勢の流れを迎合・加速させるような意見を述べる存在ばかりが目につきます。・・・多分、その様な人のみを選び考えの多様性を阻止するよう仕組んでいるのでしょう。

人は、多様な意見の中から自分の意見に近い考えを選び取るのが普通ですが、今は多様な考えが無く既に決まっている(決められている)情報を素直?に受け入れるだけの状況で、「自分の頭で整理し考える」という大事な部分が置き去りにされているように見(観)えます。

知人たちと会話をしても、新聞記事に書いている・テレビで報道されている通りの情報しか、その人たちの口から発せられません。なぜか?私の近くには、多様な意見を発する人は(ほとんど)見当たりません。

画一的で視野が狭いこの世の中で、自ら勉強し「世の中は、実際どうなっているのか?」という探究心を持ち、何か一つ物事を極めてやろうという気概を持つ人間に出会うことは稀です。

仏道修行にからめて考えると、自分以外の他人の意見を聞いて修行をしているようでは先が知れています。間違っても良いから、信念を持って自分自身の道を進まなければいけません。

修行で、いくら失敗しても無駄になることなど一つもありません。自分の頭で考え、自分の頭で進むべき道を選んでいく。
試行錯誤の中に、今まで見えなかったものが微かに見えてくる。今まで聞こえなかった声が、微かに聞こえてくる。そうなれば、修行も楽しく行じることが出来るようになります。

※「真実はどこに?」は、(その9)で終了します。


*法津如来のコメント

本日2回目のブログ更新です。
今回も石法如来から特別寄稿を頂きました。ありがとうございます。
今回で、「真実はどこに?」のシリーズは終わるとのことですが、
また新たな内容での寄稿を期待いたします。

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