「無分別智(その3)」

SRKWブッダのホームページの理法「無分別智」」の引用、その3。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou029.htm


[ひらめきではない]

無分別智は、ひらめきによるものではありません。 

ひらめきによって何かを得た場合には、本人に”ひらめいた”という意識が伴います。 

無分別智には、そのような意識が生じません。 

ですから、無分別智はひらめきではありません。 

無分別智は、ひらめきではない以上、いわゆる頓知ではありません。 

無分別智は、まるで唐突に顕れ出るものですが、付け焼き刃ではないと(知る人は)知るからです。 

このように、無分別智は頓知ではありませんが、頓悟を生じるものです。


*法津如来のコメント

前回、無分別智は「分別から出てくることはない」と述べられていましたから、それはひらめきかなと思った方がおられたと思います。今回はそれが否定されました。

みなさんも過去に何かひらめいたという経験があるでしょう。その時は自分でひらめいたという感覚があったと思います。

しかし、無分別智にはひらめいたという感覚はないのです。

もっと具体的に言えば、法の句(無分別智の言葉としての表れ)を聞いた時、それはひらめいたという感覚ではありません。それは法の句だと認識したのです。

ということで、無分別智はひらめきではないのです。

頓悟については、SRKWブッダのホームページの理法に「頓悟ということ」という項があります。
参考にして下さい。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou189.htm


"「無分別智(その3)」" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント