「無分別智(その8)」

SRKWブッダのホームページの理法「無分別智」」の引用、その8。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou029.htm


[自然体ではない]

無分別智は、俗に言う自然体から出てくるものでもありません。 

自然体という意味が、いろいろと考え抜いた結果や諸々の経験を踏まえ、その最後のところは自然に任せるという深い意味であったとしても、そこから無分別智がでてくることは無いのです。 

無分別智は、正しい熱望の結果として顕れ出るものであると(知る人は)知るからです。


*法津如来のコメント

「無分別智は、俗に言う自然体から出てくるものでもありません。」という表現で言いたいことは、

「無分別智は、正しい熱望の結果として顕れ出るものである」ということであります。

無分別智には、何も作為しないこと、何も考えないようなイメージがありますが、
そうではなくて、それが顕れでる根底には、正しい熱望があるのです。

ここで、正しい熱望というのは熱意とは異なるものでるので、正しい熱望と言っているのです。

「熱望」についての詳しい解説は、SRKWブッダの理法「熱望」を参照して下さい。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou025.htm

参考のために、その最初の部分だけを以下に引用しておきます。

「熱望とは、法(ダルマ)を探し求める熱き心のことを言う。それは、覚りを得たいという直なる望みではなく、ブッダにまみえその声を聞きたいという願望でもない。熱望とは、自らがあらゆる手立てを講じて得ることができた仏教的知見や仏教的経験のその先に、それらを含め人が思念できるところのあらゆるものすべてを超越する本当の法(ダルマ)があるであろうことを信じ、その本当の法(ダルマ)を知りたいと願う熱き心を言うのである。人は、それを達成したとき、それまで自らがあらゆる手立てを講じて得たと思い込んでいた仏教的知見や仏教的経験などが、法(ダルマ)でも何でもない虚妄であったと気づくことになる。」


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