時間を守ることにこだわること

こだわりについて、考えていて思い出したことがあります。

私がテーラワーダ仏教の比丘(僧侶)であった時の話の話です。

比丘はウポーサタ(布薩)というものを行います。満月の日に、ですから月に一回、地域の比丘たちが戒壇に集まって懺悔の儀式を行うのです。内容は重要な戒律と経典の読み合わせです。

ある時、ウポーサタに参加するためにスリランカ人の後輩の比丘と住んでいる寺から2時間ほど離れた東京八王子にある戒壇に出かけました。

特急電車に乗ってしばらくして腹痛になりました。トイレに行きたくなったのです。途中下車をすると、30分ほど遅刻します。どうしても我慢できなくて、後輩には先に行ってもらって私は途中下車をしました。

私は遅刻することにひどく悩みながら、戒壇に駆けつけました。

しかし、どうでしょう。まだウポーサタはまだ始まっておらず、私より遅れているスリランカの比丘たちもいたのです。私の悩みは何だったのでしょうか。

その時、私は考えました。自分が悩んでいたのは、私が勝手に時間は守らなければいけないと考えて、勝手に悩んでいたんだと。他の人たちはそんなこと何にも気にしていなかったのだと。

また、そうかと思いました。多くの悩みは自分がこうしていけない、ああしてはいけないと勝手に思い込んで、悩んでいるのだと。多くの悩みは自分の一人芝居なのだと。

心配することはないのだ。大丈夫だ。

一つ注釈をしますと、日本人は時間を守ることにこだわりすぎています。スリランカ人は集合時間があると、その時間に家をでます。時間はほとんど気にしません。ですから、他人が遅れることもあまり責めません。もっとも、最近は日本にきているスリランカ人は日本人の影響で時間を守るようになっているようです。

最近の日本では、マスクをかけることを守らなければいけないと思いすぎていて、あらそいまで起こしていることはどんなものでしょうか。

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