固定的な修行法など何一つ存在していない

ゴータマ・ブッダはダンマパダ271偈、272偈で次のように説かれております。

「わたしは、出離の楽しみを得た。それは凡夫の味わい得ないものである。それは、戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、またひとり離れて臥すことによっても、得られないものである。修行僧よ。汚れが消え失せない限りは、油断するな。 」(中村元訳)

また、SRKWブッダは「仏道の真実++」のなかで次のように述べておられます。
https://76263383.at.webry.info/202009/article_13.html

「繰り返しになるが、この世にはニルヴァーナに至るための固定的な修行法など何一つ存在していない。したがって、読者が本書で具体的な修行法を学びたいと思っているのであるならば、その期待には応えることはできない。」

このように言われると、それならば「どうしたらいいですか?」と言いたくなるでしょう。

多くの修行者は、具体的な修行法を知りたがるのです。

確かにそのように思うのは無理はないのですが、その発想が真実の探求にとっては逆方向なのです。

例えば、幸福になりたいと思う人はどうしたら幸福になれるか知りたがります。

その方法を知りたがるのです。

しかし、その人は幸福が何か知らないのです。

その人は、お金持ちになることが幸福になることだと思って、お金持ちになる方法を知りたがるのです。

しかし、お金持ちになる方法を知って、お金持ちになったとしても、その人は幸福になれるでしょうか?

お金になっても、苦労が増えるだけで、幸福にはなれないことを知るでしょう。

修行者は、方法を求めるのではなく、自分の求めるものは何か明確に知るべきです。

それで瞑想が必要だと思うならば、目的を忘れずに瞑想をやってみるのもよいでしょう。

繰り返しますが、瞑想をすれば覚れるというものではないのです。


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